・・・発句すなわち今の俳句はやはり連歌時代からこれらの枝の節々を飾る花実のごときものであった。後に俳諧から分岐した雑俳の枝頭には川柳が芽を吹いた。 連歌から俳諧への流路には幾多の複雑な曲折があったようである。優雅と滑稽、貴族的なものと平民的な・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・百眼売つけ髭売蝶売花簪売風船売などあるいは屋台を据ゑあるいは立ちながらに売る。花見の客の雑沓狼藉は筆にも記しがたし。明治三十三年四月十五日の日曜日に向嶋にて警察官の厄介となりし者酩酊者二百五人喧嘩九十六件、内負傷者六人、違警罪一人、迷児十四・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・飛鳥山の花見をかく、踊ったり、跳ねたり、酣酔狼藉の体を写して頭も尾もつけぬ。それで好いつもりである。普通の小説の読者から云えば物足らない。しまりがない。漠然として捕捉すべき筋が貫いておらん。しかし彼らから云うとこうである。筋とは何だ。世の中・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・死んで花実が咲こかいな、苦しむも恋だって。本統にうまいことを言ッたもんさね。だもの、誰がすき好んで、死ぬ馬鹿があるもんかね。名山さん、千鳥さん、お前さんなんぞに借りてる物なんか、ふんで死ぬような吉里じゃアないからね、安心してえておくんなさい・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・月見なり、花見なり、音楽舞踏なり、そのほか総て世の中の妨げとならざる娯しみ事は、いずれも皆心身の活力を引立つるために甚だ緊要のものなれば、仕事の暇あらば折を以て求むべきことなり。これを第五の仕事とすべし。 右の五ヶ条は、いやしくも人間と・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・鬱散養生とあれば花見も宜し湯治も賛成なり、或は集会宴席の附合も自から利益なれども、其外出するや子供を家に残して夫婦の留守中、下女下男の預りにて、初生児は無理に牛乳に養わるゝと言う。恰も雇人に任せたる蚕の如し。其生育如何は自問して自答に難から・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・、十余句を挙ぐれば木瓜の陰に顔たくひすむ雉かな釣鐘にとまりて眠る胡蝶かなやぶ入や鉄漿もらひ来る傘の下小原女の五人揃ふて袷かな照射してさゝやく近江八幡かな葉うら/\火串に白き花見ゆる卓上の鮓に眼寒し観魚亭夕・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・家を出でて土筆摘むのも何年目病床を三里離れて土筆取 それから更に嬉しかったことは、その次の日曜日にまた碧梧桐が家族と共に向島の花見に行くというので、母が共に行かれたことである。花盛りの休日、向島の雑鬧は思いやられるので、・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処を、蛙どもは雲見をやります。「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」「実に僕たちの理想だね。」 雲のみねはだんだん・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・朝まで元気で羽並さえ何ともなかったのに、暮方水を代えてやろうとして見ると、思いもかけない雄の鮮やかな紅葉色の小さい体が、淋しく止木の下に落ちて居たのである。 艷やかな羽毛の紅色は褪せず、嘴さえルビーを刻んだようなので、内部の故障とは思い・・・ 宮本百合子 「餌」
出典:青空文庫