はやしどうしゅん【林道春】
⇒林羅山 (はやしらざん)
はやしのぶあつ【林信篤】
⇒林鳳岡 (はやしほうこう)
はやしひろもり【林広守】
[1831〜1896]雅楽家。大坂の生まれ。笙 (しょう) の名手で、製作もよくした。宮内省雅楽局伶人長として奥好義 (おくよしいさ) ・林広季の合作「君が代」を完成。
はやしぶぎょう【林奉行】
⇒御林奉行 (おはやしぶぎょう)
はやしふさお【林房雄】
[1903〜1975]小説家。大分の生まれ。本名、後藤寿夫。プロレタリア作家として出発。のち転向し、戦後の民主主義否定の論陣の一翼を担った。小説「青年」「西郷隆盛」、評論「大東亜戦争肯定論」など。
はやしふぼう【林不忘】
[1900〜1935]小説家。新潟の生まれ。本名、長谷川海太郎。谷譲次・牧逸馬 (まきいつま) の筆名でも作品を発表。時代小説「丹下左膳 (たんげさぜん) 」のほか、谷譲次名義の「テキサス無宿」、牧逸馬名義の家庭小説「地上の星座」などがある。
はやしふみこ【林芙美子】
[1903〜1951]小説家。山口の生まれ。多くの職を転々としながら、自伝的小説「放浪記」で文壇に出た。一貫して庶民の生活を共感をこめて描いた。他に小説「清貧の書」「晩菊」「浮雲」「めし」、詩集「蒼馬を見たり」など。
はやしほうこう【林鳳岡】
[1645〜1732]江戸中期の儒学者。江戸の人。鵝峰の次男。名は信篤。徳川家綱から吉宗までの5代の将軍に仕えた。林家学問所が湯島に移され、官学の学問所となったとき、大学頭 (だいがくのかみ) に任ぜられた。以後、大学頭は代々林家の世襲となった。
はやしまたしち【林又七】
[1613?〜1699?]江戸前期の装剣金工家。尾張の人。本名、清三郎、または重治。肥後の加藤家・細川家に仕える。巧みな透かしと布目象眼により肥後鐔 (つば) の完成者とされ、林派(春日派)の祖となった。
はやしまりこ【林真理子】
[1954〜 ]小説家・エッセイスト。山梨の生まれ。コピーライターを経て、現代女性の心理に焦点を当てたエッセーで人気を得る。小説では官能的な恋愛ものを多く手がける。「最終便に間に合えば」「京都まで」で直木賞受賞。他に「星影のステラ」「不機嫌な果実」、エッセー集「ルンルンを買っておうちに帰ろう」など。