・・・……「承れば、その頃京都では、大石かるくて張抜石などと申す唄も、流行りました由を聞き及びました。それほどまでに、天下を欺き了せるのは、よくよくの事でなければ出来ますまい。先頃天野弥左衛門様が、沈勇だと御賞美になったのも、至極道理な事でご・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ 四「流行りません癖に因果と貴方ね、」と口もやや馴々しゅう、「お米の容色がまた評判でございまして、別嬪のお医者、榎の先生と、番町辺、津の守坂下あたりまでも皆が言囃しましたけれども、一向にかかります病人がござい・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・奥座敷上段の広間、京間の十畳で、本床附、畳は滑るほど新らしく、襖天井は輝くばかり、誰の筆とも知らず、薬草を銜えた神農様の画像の一軸、これを床の間の正面に掛けて、花は磯馴、あすこいらは遠州が流行りまする処で、亭主の好きな赤烏帽子、行儀を崩さず・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・名を知っている彦根の城主が大老になった年の秋、西北の空に突然彗星があらわれて、はじめ二三尺の長さのものがいつか空いっぱいに伸びて人魂の化物のようにのたうちまわったかと思うと、地上ではコロリという疫病が流行りだして、お染がとられてしまった。・・・ 織田作之助 「螢」
・・・というものが郷里の田舎でも流行り出していたように思われる。いちばん最初のいわゆる「海水浴」にはやはり父に連れられて高知浦戸湾の入口に臨む種崎の浜に間借りをして出かけた。以前に宅に奉公していた女中の家だったか、あるいはその親類の家だったような・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・はむかし柳河藩主立花氏の下屋敷にあって、文化のころから流行りはじめた。屋敷の取払われた後、社殿とその周囲の森とが浅草光月町に残っていたが、わたくしが初めて尋ねて見た頃には、その社殿さえわずかに形ばかりの小祠になっていた。「大音寺前の温泉」と・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・この忙しい世の中に、流行りもせぬ幽霊の書物を澄まして愛読するなどというのは、呑気を通り越して贅沢の沙汰だと思う。「僕も気楽に幽霊でも研究して見たいが、――どうも毎日芝から小石川の奥まで帰るのだから研究は愚か、自分が幽霊になりそうなくらい・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ 変りふろふき これからはよくどちらでも大根ふろふきが流行ります。大好きですがどうも胡麻をかけただけでは物足りないので一工夫して、挽肉を味噌、醤油、砂糖で甘辛くどろりと煮て胡麻などの代りにかけていただきます。・・・ 宮本百合子 「十八番料理集」
・・・ 満州で侵略戦争を開始し、戦争熱をラジオや芝居で煽るようになってから、皮肉なことにカーキ色の癈兵の装で国家のためと女ばかりの家を脅かす新手の押売りが流行り、現に保護室にそんなのが四五人引っぱられて来ているのであった。 そんな話を聞い・・・ 宮本百合子 「刻々」
出典:青空文庫