・・・と校長が起とうとした時、梅子は急に細川の顔を見上げた、そして涙がはらはらとその膝にこぼれた。ハッと思って細川は躊躇うたが、一言も発し得ない、止まることも出来ないでそのまま先生の居間に入った。何とも知れない一種の戦慄が身うちに漲ぎって、坐った・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 夕方から零ち出した雪が暖地には稀らしくしんしんと降って、もう宵の口では無い今もまだ断れ際にはなりながらはらはらと降っている。片側は広く開けて野菜圃でも続いているのか、其間に折々小さい茅屋が点在している。他の片側は立派な丈の高い塀つづき・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・わたしは、はらはらして見ていたぞい――ほんとだぞい」 お新はもう眼に一ぱい涙を溜めていた。その力を籠めた言葉には年老いた母親を思うあわれさがあった。「昨日は俺も見ていた。そうしたら、おばあさんがここのお医者さまに叱られているのさ」・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・はかなげに咲き残った、何とかいう花に裾が触れて、花弁の白いのがはらはらと散る。庭は一面に裏枯れた芝生である。離れの中二階の横に松が一叢生えている。女松の大きいのが二本ある。その中に小さな水の溜りがある。すべてこの宅地を開く時に自然のままを残・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 母はわきで聞いてはらはらして、「いらないよ、そんなに沢山。無駄なことは、およしなさい。」と私のやり切れなかった心も知らず、まじめに言うので、私はいよいよやりきれなく、この世で一ばんしょげてしまいました。・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・私は、ただ、はらはらして聞いていた。「ゆずってくれるでしょうね。」「は?」「あれは山椒魚でしょう?」「おそれいります。」「実は、私は、あの山椒魚を長い間さがしていました。伯耆国淀江村。うむ。」「失礼ですが、旦那がたは・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・よそ目にもはらはらするようなそこらの日本の子守りと比べて、このシナ婦人のほうに信用のあるのはもっともである。 軽井沢から沓掛へ乗った一人の労働者が、ひどく泥酔して足元があぶないのに、客車の入り口の所に立ってわめいている。満州国がどうして・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・がいて、わざと傍若無人に振舞って仲間や傍観者を笑わせたりはらはらさせるものである。 富士駅附近へ来ると極めて稀に棟瓦の一、二枚くらいこぼれ落ちているのが見えた。興津まで来ても大体その程度らしい。なんだかひどく欺されているような気がした。・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・私なんかそばではらはらするようなことでも平気や」おひろは珍らしく気を吐いた。「いつ見ても何となしぱっとしないようだな」「ぱっとできるようなら、今時分こんな苦労していませんよ。それでいいもんや。さんざ男を瞞した人の行末を見てごらんなさ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・黄ばんだ葉が蒼い冴えた空から力なさ相に竹の梢をたよってはらはらと散る。竹はうるさげにさらさら身をゆする。落葉は止むなく竹の葉を滑ってこぼれて行く。澁い枳の実は霜の降る度に甘くなって、軈て四十雀のような果敢ない足に踏まれても落ちるようになる。・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫