・・・ 千朶山房の草稿もその晩年『明星』に寄せられたものを見るに無罫の半紙に毛筆をもって楷行を交えたる書体、清勁暢達、直にその文を思わしむるものがあった。 わたしはしばしば家を移したが、その度ごとに梔子一株を携え運んで庭に植える。啻に花を・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・どういう訳か逗子へ半月ばかり行っていた時の事を半紙二帖ほどに書いたものが、今だに自分の手篋の底に保存されてある。成島柳北が仮名交りの文体をそのままに模倣したり剽窃したりした間々に漢詩の七言絶句を挿み、自叙体の主人公をば遊子とか小史とか名付け・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・中津の旧藩士も藩と共に運動する者なれども、或は藩中に居てかえって自からその動くところの趣に心付かず、不知不識以て今日に至りし者も多し。独り余輩は所謂藩の岸上に立つ者なれば、望観するところ、或は藩中の士族よりも精密ならんと思い、聊かその望観の・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・しかも田舎にて昔なれば藩士の律儀なる者か、今なれば豪家の秘蔵息子にして、生来浮世の空気に触るること少なき者に限るが如し。これらの例をかぞうれば枚挙にいとまあらず。あまねく人の知るところにして、いずれも皆人生奇異を好みて明識を失うの事実を証す・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・ そもそも余は旧中津藩の士族にして、少小の時より藩士同様に漢書を学び、年二十歳ばかりにして始めて洋学に志したるは、今を去ることおよそ三十余年前なり。この時に洋書を読みはじめたるは、何の目的をもってしたるか、今において自から解すること能わ・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・この革命は諸藩士族の手に成りしものにして、その士族は数百年来周公孔子の徳教に育せられ、満腔ただ忠孝の二字あるのみにして、一身もってその藩主に奉じ、君のために死するのほか、心事なかりしものが、一旦開進の気運に乗じて事を挙げ、ついに旧政府を倒し・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・既に瓦解し、その勝算なきは固より明白なるところなれども、榎本氏の挙は所謂武士の意気地すなわち瘠我慢にして、その方寸の中には竊に必敗を期しながらも、武士道の為めに敢て一戦を試みたることなれば、幕臣また諸藩士中の佐幕党は氏を総督としてこれに随従・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・余が故郷などにてはこのつめ物におが屑を用いる。半紙の嚢を二通りに拵えてそれにおが屑をつめ、其嚢の上には南無阿弥陀仏などと書く。これはつめ処によって平たい嚢と長い嚢と各必要がある。それで貌の処だけは幾らか斟酌して隙を多く拵えるにした所で、兎に・・・ 正岡子規 「死後」
・・・ それは竹へ半紙を一枚はりつけて大きな顔を書いたものです。 その「源の大将」が青い月のあかりの中でこと更顔を横にまげ眼を瞋らせて小吉をにらんだように見えました。小吉も怒ってすぐそれを引っこ抜いて田の中に投げてしまおうとしましたが俄か・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・テジマアは一寸うなずいて、ポッケットから財布を出し、半紙判の紙幣を一枚引っぱり出して給仕にそれを握らせました。「今度の旦那は気前が実にいいなあ。」とつぶやきながら、ばけもの給仕は幕の中にはいって行きました。そこでテジマアは、ナイフをとり・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
出典:青空文庫