一 支那の上海の或町です。昼でも薄暗い或家の二階に、人相の悪い印度人の婆さんが一人、商人らしい一人の亜米利加人と何か頻に話し合っていました。「実は今度もお婆さんに、占いを頼みに来たのだがね、――」・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ある夜の戌の上刻頃、数馬は南の馬場の下に、謡の会から帰って来る三右衛門を闇打ちに打ち果そうとし、反って三右衛門に斬り伏せられたのである。 この始末を聞いた治修は三右衛門を目通りへ召すように命じた。命じたのは必ずしも偶然ではない。第一に治・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・お名残だといって海水浴にゆくことにしました。お婆様が波が荒くなって来るから行かない方がよくはないかと仰有ったのですけれども、こんなにお天気はいいし、風はなしするから大丈夫だといって仰有ることを聞かずに出かけました。 丁度昼少し過ぎで、上・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・ 競馬場の埒の周囲は人垣で埋った。三、四軒の農場の主人たちは決勝点の所に一段高く桟敷をしつらえてそこから見物した。松川場主の側には子供に付添って笠井の娘が坐っていた。その娘は二、三年前から函館に出て松川の家に奉公していたのだ。父に似て細・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・われらこの烈しき大都会の色彩を視むるもの、奥州辺の物語を読み、その地の婦人を想像するに、大方は安達ヶ原の婆々を想い、もっぺ穿きたる姉をおもい、紺の褌の媽々をおもう。同じ白石の在所うまれなる、宮城野と云い信夫と云うを、芝居にて見たるさえ何とや・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・市川の人達に聞かれたらば、斎藤の婆がどんな非度いことを云ったかと思うだろう。十何年という間我子の様に思ってきたこともただ一度の小言で忘れられてしまったかと思うと私は口惜しい。人間というものはそうしたものかしら。お増、よく聞いてくれ、私が無理・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・まかせにした方がと云って人にたのんで橋をかけてもらい世を渡る事が下手でない聟だと大変よろこび契約の盃事まですんでから此の男の耳の根にある見えるか見えないかほどのできもののきずを見つけていやがり和哥山の祖母の所へ逃げて行くと家にも置かれないの・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・主人の姉――名はお貞――というのが、昔からのえら物で、そこの女将たる実権を握っていて、地方有志の宴会にでも出ると、井筒屋の女将お貞婆さんと言えば、なかなか幅が利く代り、家にいては、主人夫婦を呼び棄てにして、少しでもその意地の悪い心に落ちない・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・緑雨が一葉の家へしげしげ出入し初めたのはこの時代であって、同じ下宿に燻ぶっていた大野洒竹の関係から馬場孤蝶、戸川秋骨というような『文学界』連と交際を初めたのが一葉の家へ出入する機会となったのであろう。その頃から私とは段々疎遠となって余り往来・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 二十五年前には東京市内には新橋と上野浅草間に鉄道馬車が通じていたゞけで、ノロノロした痩馬のガタクリして行く馬車が非常なる危険として見られて「お婆アさん危いよ」という俗謡が流行った。電灯が試験的に点火されても一時間に十度も二十度も消えて・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
出典:青空文庫