・・・』と馬場君も言っていた。兎に角、私の心の驚きは今日まで自分の胸に描いて来た芭蕉の心像を十年も二十年も若くした。云々。」 露伴の文章がどうのこうのと、このごろ、やかましく言われているけれども、それは露伴の五重塔や一口剣などむかしの佳品を読・・・ 太宰治 「もの思う葦」
祖母は文化十二年生まれで明治二十二年自分が十二歳の歳末に病没した。この祖母の「思い出の画像」の数々のうちで、いちばん自分に親しみとなつかしみを感じさせるのは、昔のわが家のすすけた茶の間で、糸車を回している袖なし羽織を着た老・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・御主人にも信用がありますけれど、お祖母さんという人に、大変に気に入られているんです。嫁さんも御主人の親類筋の人で、四国でいい船持ちだということです。庄ちゃんなんか行って、私をむずかしい女のように言っていたんですけれど、逢ってみればそんなじゃ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・汚れた襟付の袷に半纏を重ねた遣手婆のようなのが一人――いずれにしても赤坂麹町あたりの電車には、あまり見掛けない人物である。 車は吾妻橋をわたって、広い新道路を、向嶋行の電車と前後して北へ曲り、源森橋をわたる。両側とも商店が並んでいるが、・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・東の方は本郷と相対して富坂をひかえ、北は氷川の森を望んで極楽水へと下って行き、西は丘陵の延長が鐘の音で名高い目白台から、『忠臣蔵』で知らぬものはない高田の馬場へと続いている。 この地勢と同じように、私の幼い時の幸福なる記憶もこの伝通院の・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・で、栄升の左衛門、雷蔵の善三郎と家康、蝶昇の茶坊主と馬場、高麗三郎の鳥居、芝三松の梅ヶ枝などが重立ったものであった。道具の汚いのと、役者の絶句と、演芸中に舞台裏で大道具の釘を打つ音が台辞を邪魔することなぞは、他では余り見受けない景物である。・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・「まずうちへ帰ると婆さんが横綴じの帳面を持って僕の前へ出てくる。今日は御味噌を三銭、大根を二本、鶉豆を一銭五厘買いましたと精密なる報告をするんだね。厄介きわまるのさ」「厄介きわまるなら廃せばいいじゃないか」と津田君は下宿人だけあって・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ 金持の淫乱な婆さんが、特に勝れて強壮な若い男を必要とするように、第三金時丸も、特に勝れて強い、労働者を必要とした。 そして、そのどちらも、それを獲ることが能きた。 だが、第三金時丸なり、又は淫乱婆としては、それは必要欠くべから・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・翌日猿が馬場という峠にかかって来ると、何にしろ呼吸病にかかっている余には苦しい事いうまでもない。少しずつ登ってようよう半腹に来たと思う時分に、路の傍に木いちごの一面に熟しているのを見つけた。これは意外な事で嬉しさもまた格外であったが、少し不・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・今度は二人乗のよぼよぼ車に窮屈そうに二人の婆さんが乗って居る。勿論田舎の婆さんでその中の一人が誠に小い一尺ばかりの熊手を持って居る。もし前の熊手が一号という大きさならこの熊手は廿九号位であるであろう。その小さな奴を膝の上にも置かないでやはり・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
出典:青空文庫