・・・人生と人間の理想とその実現の努力に対する作者の感慨は主人公半蔵の悲喜と全く共にあり、氏一流の客観描写である如きであって実は克明な一人称である筆致で、郷土地方色をも十分に語った作品である。「夜明け前」の主人公は時代が推移して明治が来るとともに・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・今日、わたしたちが日々の悲喜の源泉を辿ろうとするとき、それは呪わしいばかりに複雑である。わが心に銘じる悲しみが深きにつれて、文学はその悲しみを追求することによって、単なる悲しみから立ち上った人間精神の美を発見し、美を感じ生みだすことによって・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・然し、人間の主観的な感情の鏡によって、自然の姿が悲喜さまざまに観られ感受されると同時に、そのような各人の感情の発動する根源には、そのひとの住む自然が環境的な影響として力強く作用しているのである。 例えば、同じヨーロッパの中でもスペインや・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・「蒼生と悲喜を同うするは軽蔑すべきことなりや否や。僕は如何に考ふるも、彫虫の末技に誇るよりは高等なるを信ずるものなり。」と感じつつも「プロレタリアは悉く善玉、ブルジョアは悉く悪玉とせば、天下はまことに簡単なり。簡単なるには相違なけれど、――・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・そして、自分のなかに、孝子夫人の俤と、様々な女性としての悲喜にみたされた生活とが、まざまざと甦った。その俤には、稚いこころに印された、ふくよかに美しい二枚重ねの襟元と、小さい羽虫を誘いよせていた日向の白藤の、ゆたかに長い花房とが馥郁として添・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・ それから後、私のことについて、しばしば父が経験した心痛や悲喜について書かれた手紙というものは一通もない。 父がそれほどとも思われなかった病いで、急に亡くなる前後、私はその側にいることの出来ない事情におかれていた。今から五年前のこと・・・ 宮本百合子 「父の手紙」
・・・ 女同士の友情なんてあてにならず、あるかないかも分らないものとされたのは、女が自分の生活の主人でなくて、受け身におこる様々の悲喜を全く自分一個の幸不幸の範囲でだけ感じていた時代のことではないだろうか。女の友情も、今では現実の社会感情とし・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・私共は私共の現実の中に生き、その悲喜を生きている。コクトオやスタンバアグが大川端の待合で、或る気分を日本的と陶酔する姿を、苦しい笑いでこちらから見物せざるを得ないではないか。 日本の芸術家が、いつしか外国人が目して日本的と称する範囲の中・・・ 宮本百合子 「日本の秋色」
・・・正宗さんの批評では、客観的態度というものを、作者が描こうとしている現実対象に心をとらわれていず、そこから自分の心をひきはなして、現実の悲喜の彼方に自分を置いた作者がその距離から悲喜をかく態度として云われていると思う。だが、バックの現実に対す・・・ 宮本百合子 「パァル・バックの作風その他」
・・・るという鉤をつかって引掴まれ、計らずも一九三四年の困難な日本に、リアリズムを十九世紀初頭のブルジョア写実主義へまで押し戻そうとする飾人形として、悲喜劇的登場をよぎなくされたのであった。「人間喜劇」の作者が、エンゲルスによってその政治的見・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
出典:青空文庫