・・・ この男がどんな人物だと云うことは、一目見れば知れる。態度はいかにも威厳があって、自信力に富んでいるらしい。顔は賢そうで、煎じ詰めたようで、やや疲労の気色を帯びている。そう云う態度や顔に適っているのはこの男の周囲で、隅から隅まで一定の様・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・それに驚いて、鱶を一目見るや否や梯子を下りて来て、自分の行李から用意の薬を取り出し、それを袋のままで着て居る外套のカクシへ押し込んで、そうして自分の座に帰って静かに寝て居た。自分の座というのは自分が足を伸ばして寝るだけの広さで、同業の新聞記・・・ 正岡子規 「病」
・・・まっ青な小樽湾が一目だ。軍艦が入っているので海軍には旗も立っている。時間があれば見せるのだがと武田先生が云った。ベンチへ座ってやすんでいると赤い蟹をゆでたのを売りに来る。何だか怖いようだ。よくあんなの食べるものだ。 *・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
暗くしめっぽい一つの穴ぐらがある。その穴ぐらの底に一つの丸い樽がころがされてあった。その樽は何年もの間、人目から遮断されたその暗がりにころがされていて、いそがしく右往左往する人々は、その穴ぐらをふさいでいる厚板の上をふんで・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)」
・・・ 矢張り笑顔のまま、大きな女のひとはくるりと、私共の方に背を向けた。一目見、自分は大声で泣き出した。背中に小猿をくくり付けでもしたように、赤い着物の女の子が、小さく、かーんと強張って背負われて居るのだ。「河に身を投げたのだ」と誰・・・ 宮本百合子 「或日」
・・・忠利はそれを一目見て、しばらく瞑目していた。それから忠利が「足がだるい」と言った。長十郎は掻巻の裾をしずかにまくって、忠利の足をさすりながら、忠利の顔をじっと見ると、忠利もじっと見返した。「長十郎お願いがござりまする」「なんじゃ」・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・徒目附、小人目附等に、手附が附いて来たのである。見分の役人は三右衛門の女房、伜宇平、娘りよの口書を取った。 役人の復命に依って、酒井家から沙汰があった。三右衛門が重手を負いながら、癖者を中の口まで追って出たのは、「平生の心得方宜に附、格・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 中「山里は冬ぞさみしさまさりける、人目も草もかれぬと思へば」秋の山里とてその通り、宵ながら凄いほどに淋しい。衣服を剥がれたので痩肱に瘤を立てている柿の梢には冷笑い顔の月が掛かり、青白く冴えわたッた地面には小枝の影が・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・「あんな碌でもない奴は、人目につかん処で死にさらしゃええんじゃ。」「お前はよっぽど罰あたりやぞ!」「俺が罰あたりなら、南の伯母やんら、とっくの昔罰あたって死んでら。のう伯母やん?」「あれ見やえ!」とお留は云って姉を見た。・・・ 横光利一 「南北」
・・・家の中で非常に親しくしている仲であっても、公共の場所では慇懃な態度をとれとか、召使は客人の前では厳密に規律を守らせ、人目のない時にいたわってやれとか、というような公私の区別も、彼にとって算用であった。人を躾けるやり方についても、小さい不正の・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫