・・・そこへ向うからながらみ取りが二人、(ながらみと言うのは螺魚籃をぶら下げて歩いて来た。彼等は二人とも赤褌をしめた、筋骨の逞しい男だった。が、潮に濡れ光った姿はもの哀れと言うよりも見すぼらしかった。Nさんは彼等とすれ違う時、ちょっと彼等の挨拶に・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・第二に、五月上旬、門へ打つ守り札を、魚籃の愛染院から奉ったのを見ると、御武運長久御息災とある可き所に災の字が書いてない。これは、上野宿坊の院代へ問い合せた上、早速愛染院に書き直させた。第三に、八月上旬、屋敷の広間あたりから、夜な夜な大きな怪・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・道命は無戒の比丘じゃが、既に三観三諦即一心の醍醐味を味得した。よって、和泉式部も、道命が眼には麻耶夫人じゃ。男女の交会も万善の功徳じゃ。われらが寝所には、久遠本地の諸法、無作法身の諸仏等、悉く影顕し給うぞよ。されば、道命が住所は霊鷲宝土じゃ・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・肉のたるんだ先生の顔には、悠然たる微笑の影が浮んでいるのに関らず、口角の筋肉は神経的にびくびく動いている。と思うと、どこか家畜のような所のある晴々した眼の中にも、絶えず落ち着かない光が去来した。それがどうも口にこそ出さないが、何か自分たち一・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・馬はびくんとして耳をたてたが、やがて首をのばしてその香をかいだ。 帳場は妻のさし出す白湯の茶碗を受けはしたがそのまま飲まずに蓆の上に置いた。そしてむずかしい言葉で昨夜の契約書の内容をいい聞かし初めた。小作料は三年ごとに書換えの一反歩二円・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・摩られる度に、犬はびくびくした。この犬のためにはまだ摩られるのが、打たれるように苦痛なのであった。 次第にクサカの心持が優しくなった。「クサカ」と名を呼ばれる度に何の心配もなく庭に走り出るようになった。クサカは人の持物になった。クサカは・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ 日向へのッそりと来た、茶の斑犬が、びくりと退って、ぱっと砂、いや、その遁げ状の慌しさ。 四「状を見ろ、弱虫め、誰だと思うえ、小烏の三之助だ。」 と呵々と笑って大得意。「吃驚するわね、唐突に怒鳴ってさ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・杖の尖が、肩を抽いて、頭の上へ突出ている、うしろ向のその肩が、びくびくと、震え、震え、脊丈は三尺にも足りまい。小児だか、侏儒だか、小男だか。ただ船虫の影の拡ったほどのものが、靄に沁み出て、一段、一段と這上る。…… しょぼけ返って、蠢くた・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・しかしそんなことで、びくつくおッ母さんじゃアあるまい」「おッ母さんはそりゃアそりゃア可愛がるのよ」「独りでうぬぼれてやアがる。誰がお前のような者を可愛がるもんか? 一体お前は何が出来るのだ?」「何でも出来る、わ」「第一、三味・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 達ちゃんは、秀公が、どんな自分の困ることをいいだすだろうと、内心びくびくしていたのですが、なにこれくらいのことなら、そう恥ずかしくないと安心したのでした。そして秀公の、やさしいのに感心し、またありがたくも感じたのであります。 お姉・・・ 小川未明 「二少年の話」
出典:青空文庫