・・・蘆の根から這い上がって、其処らへ樹上りをする……性が魚だからね、あまり高くは不可ません。猫柳の枝なぞに、ちょんと留まって澄ましている。人の跫音がするとね、ひっそりと、飛んで隠れるんです……この土手の名物だよ。……劫の経た奴は鳴くとさ」「・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 不気味に凄い、魔の小路だというのに、婦が一人で、湯帰りの捷径を怪んでは不可い。……実はこの小母さんだから通ったのである。 つい、の字なりに畝った小路の、大川へ出口の小さな二階家に、独身で住って、門に周易の看板を出している、小母さん・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
上 実は好奇心のゆえに、しかれども予は予が画師たるを利器として、ともかくも口実を設けつつ、予と兄弟もただならざる医学士高峰をしいて、某の日東京府下の一病院において、渠が刀を下すべき、貴船伯爵夫人の手術をば予をして見せしむることを・・・ 泉鏡花 「外科室」
時。 現代、初冬。場所。 府下郊外の原野。人物。 画工。侍女。 貴夫人。老紳士。少紳士。小児五人。 ――別に、三羽の烏。小児一 やあ、停車場の方の、・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・東京府下にも何十人売るものがあるかは知らんですがね、やたらむたらあるもんか。」 と、何かさも不平に堪えず、向腹を立てたように言いながら、大出刃の尖で、繊維を掬って、一角のごとく、薄くねっとりと肉を剥がすのが、――遠洋漁業会社と記した、ま・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・何人もまぬかるることのできない、不可抗的の終焉である。人間はいかにしてその終焉を全うすべきか、人間は必ず泣いて終焉を告げねばならぬものならば、人間は知識のあるだけそれだけ動物におとるわけである。 老病死の解決を叫んで王者の尊を弊履のごと・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・るのである、人間の嗜好多端限りなき中にも、食事の趣味程普遍的なものはない、大人も小児も賢者も智者も苟も病気ならざる限り如何なる人と雖も、其興味を頒つことが出来る、此最も普遍的な食事を経とし、それに附加せる各趣味を緯とし、依て以て家庭を統・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ 人間性を信じ、人間に対して絶望をしない私達もいかんともし難い桎梏の前に、これを不可抗の運命とさえ思わなければならなくなってしまった。 しかし、こういうことが、良心あり、一片反抗の意気ある者にとって堪えられようか。私は、これを、いま・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
・・・その卵が孵化して一ぴきの虫となって、体に自分のような美しい羽がはえて自由にあたりを飛べるようになるには、かなりの日数がなければならぬからでした。「ああ、かわいそうに、こんな時分に生まれてこなければよかったのに……。」といって、女ちょうは・・・ 小川未明 「冬のちょう」
・・・は底本では判読不可。268-上-8]ことではないか。 話は外れたが、書きにくい会話の中でも、大阪弁ほど書きにくいものはない。大阪に生れ大阪に育って小説を勉強している人でも、大阪弁が満足に書けるとは限らないのだ。平常は冗談口を喋らせる・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
出典:青空文庫