・・・ 私は、ただ読ませただけで、なんの説明も附加しなかった。三浦君は、首をかしげて考えていたが、やがて、淋しそうに笑って、「ありがとう。」と言った。 けれども、それから十日ほど経って、三浦君から、姉の律子と結婚する事にきめました、という・・・ 太宰治 「律子と貞子」
・・・の七月はさっぱり見えない。そのかわりに去年はたった一匹しかいなかったあひるがことしは十三羽に増殖している。鴨のような羽色をしたひとつがいのほかに、純白の雌が一羽、それからその「白」の孵化したひなが十羽である。ひなは七月に行った時はまだ黄色い・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・ 写楽以外の古い人の絵では、人間の手はたとえば扇や煙管などと同等な、ほんの些細な付加物として取り扱われているように見える場合が多い。師宣や祐信などの絵に往々故意に手指を隠しているような構図のあるのを私は全く偶然とは思わない。清長などもこ・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・ 視覚的映画に聴覚的な音響を付加することは本質的に異なる別の次元を新たに増加することであるが、色彩の付加は単に視覚的なものの属性の補充に過ぎない。それだから、たとえば色彩再現の科学的技術がいかに発達したとしても、それがために発声映画がも・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・すなわちまず三次元の空間の幾何学に一次元の時間を加えた運動学的の世界を構成し、さらにこれに質量あるいは力の観念を付加した力学的の世界像を構成し、そうして日常の生活をこれによって規定していることは事実である。もしも、これがなかったら、われわれ・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・これは決して音楽を冒涜するものではなくて、音楽の領域に新しきディメンジョンを付加することの可能性を暗示するものではないかと思われる。これが、別に頼まれもせぬ自分がこの変わった映画の提燈をもって下手な踊りを踊るゆえんである。・・・ 寺田寅彦 「踊る線条」
・・・という事が上記の記載に付加されていた。 この話を導き出しそうな音の原因に関する自分のはじめの考えは、もしや昆虫かあるいは鳥類の群れが飛び立つ音ではないかと思ってみたが、しかしそれは夜半の事だというし、また魚が釣れなくなるという事が確実と・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・ ところが、おかしなことにはつい近年になってこのM君の無意味らしく思われた言葉が少しずつ幾分かの意味を附加されて記憶の中に甦って来るような気がする、というのは、どうかして宴会や友達との会合などが引続いて毎日御馳走を喰っていると、その揚句・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・自分では何事も知らない間に、この可憐な小動物の肉体の内部に、不可抗な「自然」の命令で、避け難い変化が起こりつつあった。そういう事とは夢にも知らない彼女は、ただからだに襲いかかる不可思議な威力の圧迫に恐れおののきながら、春寒の霜の夜に知らぬ軒・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・その色が濃くなるとじきに孵化するのだとキャディがいう。早くかえらないと、万一誰かの右傾した球が落ちかかって来れば、この可愛い五つ生命の卵子は同時につぶされそうである。巣は小さな笊のような形をしていて、思いの外に精巧な細工である。これこそ本能・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
出典:青空文庫