・・・その紳士がいかに平気な顔をして得意であるか、彼らがいかに浮華であるか、彼らがいかに空虚であるか、彼らがいかに現在の日本に満足して己らが一般の国民を堕落の淵に誘いつつあるかを知らざるほど近視眼であるかなどというようないろいろな不平が持ち上って・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・それでもう少し浮華を去って摯実につかなければ、自分の腹の中はいつまで経ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。 たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとか云っても、それはその西洋人の見るところで、私の参考にな・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・人は真実在は不可知的というかも知らない。もし然らば、我々の生命も単に現象的、夢幻的と考えるのほかない。そこからは、死生を賭する如き真摯なる信念は出て来ないであろう。実在は我々の自己の存在を離れたものではない。然らばといって、たといそれが意識・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・いくら不自由をしない家の子でも、盗癖ばかりは不可抗的なものだ。だが、盗癖ならばまず彼がその難をこうむるべき手近にいた。且つ近来、学校中で盗難事件はさらになかった。 下痢かなんかだろう。 安岡はそう思って、眠りを求めたが眠りは深谷が連・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・此辺より見れば女大学は人に無理を責めて却て人をして偽を行わしめ、虚飾虚礼以て家族団欒の実を破るものと言うも不可なきが如し。我輩の所見を以てすれば、家内の交には一切人為の虚を構えずして天然の真に従わんことを欲するものなり。嫁の身を以て見れば舅・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・左れば夫の婬乱不品行は実証既に明白にして、此事果して妻たる者の身に関係なくして、隣の富家翁が財産を蓄え土蔵を建築したるの類に比較す可きや否や。隣家の貧富は我家の利害に関係なしと雖も、夫の婬乱不品行は直接に妻の権利を害するものにして、固より同・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
明治五年申五月朔日、社友早矢仕氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめ・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・の高さと文明の学理の高さと、ほぼ相当らしむべきの要を知らずして、今のままの方向に進みたらんには、国中ますます教師を生ずるのみにして、実業につく者なく、はじめにいえる如く、蚕を養うて蚕卵を生じ、その卵を孵化してまた卵を生じ、ついに養蚕の目的た・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
左の一編は、去月廿三日、府下芝区三田慶応義塾邸内演説館において、同塾生褒賞試文披露の節、福沢先生の演説を筆記したるものなり。 余かつていえることあり。養蚕の目的は蚕卵紙を作るにあらずして糸を作るにあり、教育の・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・然かのみならず古文古歌の故事は往々浮華に流れて物理の思想に乏しく、言葉は優美にして其実は婬風に逸するもの多し。例えば世の中に普通なる彼の百人一首の如き、夢中に読んで夢中に聞けばこそ年少女子の為めに無害なれども、若しも一々これを解釈して詳に今・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫