・・・「さて、夜がふけてから、御寺を出て、だらだら下りの坂路を、五条へくだろうとしますと、案の定後から、男が一人抱きつきました。丁度、春さきの暖い晩でございましたが、生憎の暗で、相手の男の顔も見えなければ、着ている物などは、猶の事わかりませぬ・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・が、ちょいと見たところは年よりはずっとふけて見える。第一妙に顔色が悪い。目のまわりも黒い暈をとっている。しかし大体の目鼻だちは美しいと言っても差支えない。いや、端正に過ぎる結果、むしろ険のあるくらいである。 女はさも珍らしそうに聖水盤や・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・B くだらない議論をしている中に夜がふけたようだ。そろそろ出かけようか。A うん。B じゃあその着ると姿の見えなくなるマントルを取ってくれ給え。さあ、行こう。A 夜霧が下りているぜ。 ×・・・ 芥川竜之介 「青年と死」
・・・さすがににぎやかだった御婚礼が済みますと、町はまたもとのとおりに静かになって夜がしだいにふけてきました。燕は目をきょろきょろさせながら羽根を幾度か組み合わせ直して頸をちぢこめてみましたが、なかなかこらえきれない寒さで寝つかれません。まんじり・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・ おかしな思出はそれぐらいで、白河近くなるにつれて、東京から来がけには、同じ処で夜がふけて、やっぱりざんざ降だった、雨の停車場の出はずれに、薄ぼやけた、うどんの行燈。雨脚も白く、真盛りの卯の花が波を打って、すぐの田畝があたかも湖のように・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・姿も顔も窶れたから、ちと老けて見えるのであろうも知れぬ。綿らしいが、銘仙縞の羽織を、なよなよとある肩に細く着て、同じ縞物の膝を薄く、無地ほどに細い縞の、これだけはお召らしいが、透切れのした前垂を〆めて、昼夜帯の胸ばかり、浅葱の鹿子の下〆なり・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 橋がかりの下り口に、昨夜帳場に居た坊主頭の番頭と、女中頭か、それとも女房かと思う老けた婦と、もう一人の女中とが、といった形に顔を並べて、一団になってこなたを見た。そこへお米の姿が、足袋まで見えてちょこちょこと橋がかりを越えて渡ると、三・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・摺った揉んだの挙句が、小春さんはまた褄を取っているだがね、一度女房にした女が、客商売で出るもんだで、夜がふけてでも見なさいよ、いらいらして、逆気上って、痛痒い処を引掻いたくらいでは埒あかねえで、田にしも隠元豆も地だんだを蹈んで喰噛るだよ。血・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・その夜も、日の短い冬ですから、だいぶふけていたのであります。そして、急に、いままできこえなかった、遠くで鳴る、汽笛の音などが耳にはいるのでした。「まあ、青い、青い、星!」 電車の停留場に向かって、歩く途中で、ふと天上の一つの星を見て・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・と、おばあさんはいって、時計を見ますと、外は月の光に明かるいけれど、時刻はもうだいぶふけていました。 おばあさんは立ちあがって、入り口の方に行きました。小さな手でたたくとみえて、トン、トンというかわいらしい音がしていたのであります。・・・ 小川未明 「月夜とめがね」
出典:青空文庫