・・・ ただこのごろの新聞紙上をにぎわすようないろいろの不祥な社会的現象は、それが大本教事件でも宝塚事件でも、すべてが直接これらの事件とはなんの関係もない南海の村落でこの「ナンモンデー」の廃止された事とどこかで連関していて、むしろそれの当然の・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・そして負傷した身体を、二階で横たえてから、モウ五六日経った朝のことなのである。 お初が、上って来た。「検挙られたんですとさ、川村が」「何時だ、昨日か晩も、二三十人検挙され、その十日ばかり以前にも、百四五十人検挙された争議団である・・・ 徳永直 「眼」
・・・家は軽快なる二階づくりで其の門墻も亦極めていかめしからざるところ、われわれの目には富商の隠宅か或は旗亭かとも思われた位で、今日の紳士が好んで築造する邸宅とは全く趣を異にしたものであった。 茅町の岸は本郷向ヶ岡の丘阜を背にし東に面して不忍・・・ 永井荷風 「上野」
・・・今の世に在っては、鳥さしはおろか、犬殺しや猫の皮剥ぎよりも更に残忍なる徒輩が徘徊するのを見ても、誰一人之を目して不祥の兆となすものがあろう。わたくし等が行燈の下に古老の伝説を聞き、其の人と同じようにいわれもない不安と恐怖とを覚えたのは、今よ・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・建碑について尽力した人の重なるものは、その時には既に世を去っていた成島柳北と今日なお健在の富商大倉某らであった事が碑文に言われている。かくの如く堤上の桜花が梅若塚の辺より枕橋に至るまで雲か霞の如く咲きつらなったのは、江戸時代ではなくしてかえ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・明治三十三年四月十五日の日曜日に向嶋にて警察官の厄介となりし者酩酊者二百五人喧嘩九十六件、内負傷者六人、違警罪一人、迷児十四人と聞く。雑沓狼藉の状察すべし。」云 わたくしはこれらの記事を見て当時の向嶋を回想するや、ここにおのずから露伴幸・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・り、悄然たる余を従えて自転車屋へと飛び込みたる彼はまず女乗の手頃なる奴を撰んでこれがよかろうと云う、その理由いかにと尋ぬるに初学入門の捷径はこれに限るよと降参人と見てとっていやに軽蔑した文句を並べる、不肖なりといえども軽少ながら鼻下に髯を蓄・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・賢と不肖ともなる。正と邪ともなる。男と女ともなる。貧と富ともなる。老と若、長と幼ともなる。その他いろいろに区別ができる。区別ができる以上は、区別された一のものが他を視る態度は、一のうちにある甲が、同じく一のうちにある乙を視る態度とは異ならな・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・南国の人この不祥の具を愛せずと盾を棄てて去らんとすれば、巨人手を振って云う。われ今浄土ワルハラに帰る、幻影の盾を要せず。百年の後南方に赤衣の美人あるべし。その歌のこの盾の面に触るるとき、汝の児孫盾を抱いて抃舞するものあらんと。……」汝の児孫・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ それは、負傷さえしていなければ、火夫の云う通りであった。だが、今は私は、一銭の傷害手当もなく、おまけに懲戒下船の手続をとられたのだ。 もう、セコンドメイトは、海事局に行っているに違いない。 浚渫船は蒸汽を上げた。セーフチーバル・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
出典:青空文庫