・・・いわゆる文壇の不振とは、文壇に提供せられたる作物の不振ではない。作物を買ってやる財嚢の不振である。文士からいえば米櫃の不振である。新設されべき文芸院が果してこの不振の救済を急務として適当の仕事を遣り出すならば、よし永久の必要はなしとした所で・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・と彼はちょっと不審に思ったが、そんなものに構って居られなかった。彼はシャヴルで、セメン桝にセメントを量り込んだ。そして桝から舟へセメントを空けると又すぐその樽を空けにかかった。「だが待てよ。セメント樽から箱が出るって法はねえぞ」 彼・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・少しく不審なきを得ず。抑も苦楽相半するは人生の常にして、茲に苦労あれば又随て歓楽あり、苦楽平均して能く勉め能く楽しみ、以て人生を成すの道理は記者も許す所ならん。然らば則ち夫婦家に居るは其苦楽を共にするの契約なるが故に、一家貧にして衣食住も不・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・これにてたいてい洋書を読む味も分り、字引を用い先進の人へ不審を聞けば、めいめい思々の書をも試みに読むべく、むつかしき書の講義を聞きても、ずいぶんその意味を解すべし。まずこれを独学の手始とす。かつまた会読は入社後三、四ヶ月にて始む。これにて大・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・たとえば、大工が普請するとき、柱の順番を附くるに、梁間の方、三尺毎にいろはの印を付け、桁行の方、三尺毎に一二三を記し、いの三番、ろの八番などいうて、普請の仕組もできるものなり。大工のみにかぎらず、無尽講のくじ、寄せ芝居の桟敷、下足番の木札等・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・ ゆえに本書の如きは民間一個人の著書にして、その信不信をばまったく天下の公論に任じ、各人自発の信心をもってこれを読ましむるは、なお可なりといえども、いやしくも政府の撰に係るものを定めて教科書となし、官立・公立の中学校・師範学校等に用うる・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・「おかしいも不審もありませんや。そら。」その男は立って、網棚から包みをおろして、手ばやくくるくると解きました。「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」「ほんとうに鷺だねえ。」二人は思わず叫びました。まっ白な、あのさっき・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・手拭の上にすっかり頭をさげて、それからいかにも不審だというように、頭をかくっと動かしましたので、こっちの五疋がはねあがって笑いました。 向うの一疋はそこで得意になって、舌を出して手拭を一つべろりと嘗めましたが、にわかに怖くなったとみえて・・・ 宮沢賢治 「鹿踊りのはじまり」
・・・ 六平もおどろいておろしたばかりの荷物を見ましたら、おやおや、それはどての普請の十の砂利俵でした。 六平はクウ、クウ、クウと鳴って、白い泡をはいて気絶しました。それからもうひどい熱病になって、二か月の間というもの、「とっこべとら・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・或人は熱心に、新しい日本の黎明を真に自由な、民権の伸張された姿に発展させようと腐心し、封建的な藩閥官僚政府に向って、常に思想の一牙城たろうとした。 元来、新聞発行そのものが、民意反映の機関として、またその民意を進歩の方向に導くための理想・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
出典:青空文庫