・・・ 伝右衛門は、座につくと、太い眉毛を動かしながら、日にやけた頬の筋肉を、今にも笑い出しそうに動かして、万遍なく一座を見廻した。これにつれて、書物を読んでいたのも、筆を動かしていたのも、皆それぞれ挨拶をする。内蔵助もやはり、慇懃に会釈をし・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・するといつか白ズボンの先には太い栗毛の馬の脚が二本、ちゃんともう蹄を並べている。―― 半三郎はここまで覚えている。少くともその先はここまでのようにはっきりと記憶には残っていない。何だか二人の支那人と喧嘩したようにも覚えている。また嶮しい・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・当惑した野獣のようで、同時に何所か奸譎い大きな眼が太い眉の下でぎろぎろと光っていた。それが仁右衛門だった。彼れは与十の妻を見ると一寸ほほえましい気分になって、「おっかあ、火種べあったらちょっぴり分けてくれずに」といった。与十の妻は犬・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・彼の名はヤコフ・イリイッチと云って、身体の出来が人竝外れて大きい、容貌は謂わばカザン寺院の縁日で売る火難盗賊除けのペテロの画像見た様で、太い眉の下に上睫の一直線になった大きな眼が二つ。それに挾まれて、不規則な小亜細亜特有な鋭からぬ鼻。大きな・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・ 小僧は太い白蛇に、頭から舐められた。「その舌だと思ったのが、咽喉へつかえて気絶をしたんだ。……舌だと思ったのが、糠袋。」 とまた、ぺろりと見せた。「厭だ、小母さん。」「大丈夫、私がついているんだもの。」「そうじゃな・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 僕が昼飯を喰っている時、吉弥は僕のところへやって来て、飯の給仕をしてくれながら太い指にきらめいている宝石入りの指輪を嬉しそうにいじくっていた。「どうしたんだ?」僕はいぶかった。「人質に取ってやったの」「おッ母さんの手紙がば・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・線の太い歴史物よりは『南柯夢』や『旬殿実々記』のような心中物に細かい繊巧な技術を示しておる。『八犬伝』でも浜路や雛衣の口説が称讃されてるのは強ち文章のためばかりではない。が、戦記となるとまるで成っていない。ヘタな修羅場読と同様ただ道具立を列・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・けれど遠くへだたっていますので、ただ赤い筋と、ひらひらひるがえっている旗と、太い煙突と、その煙突から上る黒い煙と、高い三本のほばしらとが見えたばかりであります。そして船の過ぎる跡には白い波があわだっているばかりでありました。 露子は、ど・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・軽部は小柄なわりに顔の造作が大きく、太い眉毛の下にぎょろりと眼が突き出し、分厚い唇の上に鼻がのしかかっていて、まるで文楽人形の赤面みたいだが、彼はそれを雄大な顔と己惚れていた。けれども、顔のことに触れられると、何がなしいい気持はしなかった。・・・ 織田作之助 「雨」
・・・それがまた非常な勢いで蔓が延びて、先きを摘んでも摘んでもわきから/\と太いのが出て来た。そしてまたその葉が馬鹿に大きくて、毎日見て毎日大きくなっている。その癖もう八月に入ってるというのに、一向花が咲かなかった。 いよ/\敷金切れ、滞納四・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫