・・・細引にぐるぐる括られたまま、目に見えぬペダルを踏むようにやはり絶えず動いている。常子は夫を劬わるように、また夫を励ますようにいろいろのことを話しかけた。「あなた、あなた、どうしてそんなに震えていらっしゃるんです?」「何でもない。何で・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・するとそのひっそりした中に、板の間を踏む音がしたと思うと、洋一をさきに賢造が、そわそわ店から帰って来た。「今お前の家から電話がかかったよ。のちほどどうかお上さんに御電話を願いますって。」 賢造はお絹にそう云ったぎり、すぐに隣りへはい・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・「Above the War――Romain Rolland……」「ふむ、僕等には above じゃない。」 彼は妙な表情をした。それはちょうど雄鶏の頸の羽根を逆立てるのに似たものだった。「ロオランなどに何がわかる? 僕等は・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・――所詮何ものも莫迦げていると云う結論に到達せしめたこと。 少女。――どこまで行っても清冽な浅瀬。 早教育。――ふむ、それも結構だ。まだ幼稚園にいるうちに智慧の悲しみを知ることには責任を持つことにも当らないからね。 追憶。――地・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・Bの声 もう少しで君のマントルの裾をふむ所だった。Aの声 ふきあげの音がしているぜ。Bの声 うん。もう露台の下へ来たのだよ。 ×女が大勢裸ですわったり、立ったり、ねころんだりしている。薄明り。・・・ 芥川竜之介 「青年と死」
・・・と云って私の返事には頓着なく、ふむ読む、明盲の眼じゃ無えと思った。乙う小ましゃっくれてけっからあ。何をして居た、旧来は。 と厳重な調子で開き直って来た。私は、ヴォルガ河で船乗りの生活をして、其の間に字を読む事を覚えた事や・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・人は大地を踏むことにおいて生命に触れているのだ。日光に浴していることにおいて精神に接しているのだ。 それゆえに大地を生命として踏むことが妨げられ、日光を精神として浴びることができなければ、それはその人の生命のゆゆしい退縮である。マルクス・・・ 有島武郎 「想片」
・・・一つの声は二つの道のうち一つの道は悪であって、人の踏むべき道ではない、悪魔の踏むべき道だと言った。これは力ある声である。が一つの道のみを歩む人がついに人でなくなることは前にも言ったとおりである。一二 今でもハムレットが深厚な・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・床の上を重そうな足で踏む響がした。クサカは知らぬ人の顔を怖れ、また何か身の上に不幸の来るらしい感じがするので、小さくなって、庭の隅に行って、木立の隙間から別荘を見て居た。 其処へレリヤは旅行の時に着る着物に着更えて出て来た。その着物は春・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・B ふむ。おれは細君を持つまでは今の通りやるよ。きっとやってみせるよ。A 細君を持つまでか。可哀想に。しかし羨ましいね君の今のやり方は、実はずっと前からのおれの理想だよ。もう三年からになる。B そうだろう。おれはどうも初め思いた・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
出典:青空文庫