・・・ その職員室真中の大卓子、向側の椅子に凭った先生は、縞の布子、小倉の袴、羽織は袖に白墨摺のあるのを背後の壁に遣放しに更紗の裏を捩ってぶらり。髪の薄い天窓を真俯向けにして、土瓶やら、茶碗やら、解かけた風呂敷包、混雑に職員のが散ばったが、そ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・そして、みんなと別れて、一人で、あちらにぶらり、こちらにぶらり、千鳥足になって、広い野原を、星明かりで歩いてきたのだ。」と、おじいさんは話しました。 みんなは、不思議なことがあったものだと思いました。「よく星明かりで、雪道がわかりま・・・ 小川未明 「大きなかに」
・・・そのたび私はだんだん「意志の中ぶらり」に興味を覚えて来た。そして、それはまたそれで、私の疲労をなにか変わった他のものに変えてゆくのだった。やがてその村人にも会わなくなった。自然林が廻った。落日があらわれた。溪の音が遠くなった。年古りた杉の柱・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ これを聞くとかの急ぎ歩で遣って来た男の児はたちまち歩みを遅くしてしまって、声のした方を見ながら、ぶらりぶらりと歩くと、女の児の方では何かに打興じて笑い声を洩らしたが、見る人ありとも心付かぬのであろう、桑の葉越に紅いや青い色をちらつかせ・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・さればとて故郷の平蕪の村落に病躯を持帰るのも厭わしかったと見えて、野州上州の山地や温泉地に一日二日あるいは三日五日と、それこそ白雲の風に漂い、秋葉の空に飄るが如くに、ぶらりぶらりとした身の中に、もだもだする心を抱きながら、毛繻子の大洋傘に色・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・と一人笑うところへ、女房おとまぶらりッと帰り来る。見れば酒も持たず豆腐も持たず。「オイどうしたんだ。「どうもしないよ。 やはり寝ながらじろりッと見て、「気のぬけたラムネのように異うすますナ、出て行った用はどうしたんだ。・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・ 署長は私と別れてからも商売柄、その辺をうろついて見張っていたのでしょう、馬小屋でたしかに人の気配がするので、土間からそっと覗いてみると、圭吾がぶらりです。そこでもって、馬鹿! 命をそまつにするな! と叫び、ひきずりおろしたところへ、私・・・ 太宰治 「嘘」
・・・散髪を怠らず、学問ありげな、れいの虚無的なるぶらりぶらりの歩き方をも体得して居た筈でありますし、それに何よりも泥酔する程に酒を飲まぬのが、決定的にこの男を上品な紳士の部類に編入させているのであります。けれども、悲しいかな、この男もまた著述を・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・僕もこのとしになるまで、まだ独身で毎日毎日をぶらりぶらり遊んですごしているゆえ、親類縁者たちから変人あつかいを受けていやしめられているのであるが、けれども僕の頭脳はあくまで常識的である。妥協的である。通常の道徳を奉じて生きて来た。謂わば、健・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・腰のまがった小さい巡査が、両手をうしろに組んで街道のまんなかをぶらりぶらり、風に吹かれて歩いていた。私は二階堂への路順をたずねた。私は慧眼。この老巡査は、はたして忘れ得ぬ人たちの中のひとりであった。私の手を引かんばかり、はにかむような咄吃の・・・ 太宰治 「狂言の神」
出典:青空文庫