・・・私の家は、日本橋呉服問屋であって、いまとちがって、その頃はまだ、よほどの財産があったし、私はまたひとり息子でもあり、一高の文科へもかなりの成績ではいったのだし、金についてのわがままも、おなじ年ごろの学生よりは、ずっと自由がきいていた。私は、・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・国家の行政のために死ぬる。文化のために死ぬる。 襟は遺言をもって検事に贈る。どうとも勝手にするがいい。 故郷を離れて死ぬるのはせつない。涙が翻れて、もうあとは書けない。さらばよ。我がロシア。附言。本文中二箇所の字句を改刪・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・桑木理学博士がかつて彼をベルンに尋ねた時に、東洋は東洋で別種の文化が発達しているのは面白いといったような事を話したそうである。この点でも彼は一種のレラチヴィストであるとも云われよう。それにしても彼が幼年時代から全盛時代の今日までに、盲目的な・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・あひるの場合でもやはりいわゆる年ごろにならないと、雌雄の差による内分泌の分化が起こらないために、その性的差別に相当する外貌上の区別が判然と分化しないものと見える。それだのに体量だけはわずかの間に莫大な増加を見せて、今では白の母鳥のほうがかえ・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・ 文科の某教授がとった、池を中心とした写真が、何枚か今のバラック御殿のびかんにかかっている。今ではもう歴史的のものになってしまった。私はいつか、大学百景といったような版画のシリーズを作ったらおもしろいだろうと思った事があった。もしそ・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・ ともかくも人間の物を考える考え方の形式は科学以前から存在し発達し分化して来たものであって、その一部の屋庇の下に現在の科学が発達した。しかし科学の庇の下に発達したものの根源は科学以前から科学の具体的内容とは無関係に存在する人間固有の悟性・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ 科学の進歩に伴う研究領域の専門的分化は次第に甚だしくなる一方である。それは止むを得ないことであり、またそういう分化の効能が顕著なものであるということについては今更にいうまでもないのであるが、この傾向に伴う一つの重大な弊は、学者が自分の・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ このような小動物の性情にすでに現われている個性の分化がまず私を驚かせた。物を言わない獣類と人間との間に起こりうる情緒の反応の機微なのに再び驚かされた。そうしていつのまにかこの二匹の猫は私の目の前に立派に人格化されて、私の家族の一部とし・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・ 途中から文科のN君が一緒になった。三人のプレイが素人目に見てもそれぞれちゃんとはっきりした特徴があって面白い。クラブと球との衝撃によって生ずる音の音色まで人々で違うような気がするのである。科学者のM君は積分的効果を狙って着実なる戦法を・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・しかし現在のように科学というものの中に、互いに連絡のよくとれていない各分科が併立して、各自の窮屈な狭い見地から覗い得る範囲だけについていわゆる専門を称えている間は、一つの現象の概念が科学的にも雑多であり、時としては互いに矛盾する事さえあるの・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
出典:青空文庫