・・・デカルトではこれが分化されていたように見える。ガリレーはその二人の途中に立って悩んでいたのであろう。 この夢を見た夜は寝しなに続日本紀を読んだ。そうして橘奈良麻呂らの事件にひどく神経を刺激された、そのせいもいくらかあったかもしれない。臆・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・私はこれらの自然から産みだされる人間や文化にさえ、疑いを抱かずにはいられないような気がした。温室に咲いた花のような美しさと脆さとをもっているのは彼らではないかと思われた。 私たちは間もなく須磨の浜辺へおり立っていた。「この辺は私もじ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・側面に「文化九年壬申三月建、本郷村中世話人惣四郎」と勒されていた。そしてその文字は楷書であるが何となく大田南畝の筆らしく思われたので、傍の溜り水にハンケチを濡し、石の面に選挙侯補者の広告や何かの幾枚となく貼ってあるのを洗い落して見ると、案の・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・それが出来なくなればわたくしはつまり用のない人になるわけなので、折を見て身を引こうと思っていると、丁度よい事には森先生が大学文科の顧問をいつよされるともなくやめられる。上田先生もまた同じように、次第に三田から遠ざかっておられたので、わたくし・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・ 文科大学へ行って、ここで一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、百人の学生が九十人までは、数ある日本の教授の名を口にする前に、まずフォン・ケーベルと答えるだろう。かほどに多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始渝らざる興味を・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・を積んで甲の説から乙の説に移りまた乙から丙に進んで、毫も流行を追うの陋態なく、またことさらに新奇を衒うの虚栄心なく、全く自然の順序階級を内発的に経て、しかも彼ら西洋人が百年もかかってようやく到着し得た分化の極端に、我々が維新後四五十年の教育・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ある時は三韓また或時は支那という風に大分外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長い月日を前後ぶっ通しに計算して大体の上から一瞥して見るとまあ比較的内発的の開化で進んで来たと云えましょう。少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔したあげく突・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ 然し漢文科や国文科の方はやりたくない。そこで愈英文科を志望学科と定めた。 然し其時分の志望は実に茫漠極まったもので、ただ英語英文に通達して、外国語でえらい文学上の述作をやって、西洋人を驚かせようという希望を抱いていた。所が愈大学へ・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・と一々明細に説明してやって、例えば東京市の地図が牛込区とか小石川区とか何区とかハッキリ分ってるように、職業の分化発展の意味も区域も盛衰も一目の下に暸然会得できるような仕かけにして、そうして自分の好きな所へ飛び込ましたらまことに便利じゃないか・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・ 意識と云い、連続と云い、連続的傾向と云うとそのうちに意識の分化と云う事と統一と云う事は自然と含まっております。すでに連続とある以上は甲と乙と連続したと云う事実を意識せねばならぬ、すなわち甲と乙と差別がつくほどに両意識が明暸でなければな・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫