・・・近道が出来たのならば横手へ廻る必要もないから、この近道を行って見ようと思うて、左へ這入て行ったところが、昔からの街道でないのだから昼飯を食う処もないのには閉口した。路傍の茶店を一軒見つけ出して怪しい昼飯を済まして、それから奥へ進んで行く所が・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・(青金で誰か申し上げたのはうちのことですが、何分汚ないし、いろいろ失礼 老人はわずかに腰をまげて道と並行にそのまま谷をさがった。五、六歩行くとそこにすぐ小さな柾屋があった。みちから一間ばかり低くなって蘆をこっちがわに塀のように編・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・ とのさまがえるは次の室の戸を開いてその閉口したあまがえるを押し込んで、戸をぴたんとしめました。そしてにやりと笑って、又どっしりと椅子へ座りました。それから例の鉄の棒を持ち直して、二番目のあま蛙の緑青いろの頭をこつんとたたいて云いました・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・「ゆうべは閉口しちゃった、御飯の時」「ほーら! いってたの、うちでも岡本さんと。今ごろ陽ちゃんきっとまいっていてよって。少しいい気味だ、うちへ来ない罰よ」「今晩から来てよ、あの婆さんなかなか要領がいい。いざとなったら何にもしてく・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ジャーナリストたちは、規準のわからない発禁つづきに閉口して、内務省の係の人に執筆を希望しない作家、評論家の名をあげさせた。その結果十人足らずの氏名があげられたということであった。「ある回想から」という私の文章のなかで割合くわしくふれてい・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・そして、それと平行して、この第三集にあつめられた「小村淡彩」「一太と母」「帆」「街」などをも書いた。 一九四七年九月〔一九四七年十月〕 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・の全体主義文化政策に知識人が屈従するための合理化となった「文化平衡論」。「文学の非力」という悲しい諦めの心、或は、当時青野季吉によって鼓舞的に云われていた一つの理論「こんにちプロレタリア作家は、プロレタリア文学の根づよさに安んじて闊達自在の・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・侵略戦争がはじめられて、それまでの平和と自由をのぞむ文化の本質が邪魔になりはじめたとき、谷川徹三氏の有名な文化平衡論が出た。日本に、少数の人の占有する高い文化があり、一方にいわゆる講談社文化がはびこっていることはまちがっている。文化は平衡を・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・その現実に対する角度は、芭蕉のように身を捨てて天地の間に感覚を研ぎすました芸術家の生涯にある鋭い直角的なものではなく、謂わば芭蕉を味うその境地を自ら味うとでも云うべき、二重性、並行性があり、それは、藤村の文章の独特な持ち味である一種の思い入・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・描こうとする現実と平行に走っているような筆致と、現実に真直うちあたって行って描写している部分とが二様にまじりあってこの作品の中に際だっている。松下夫妻の故郷で行われる祝典のいきさつ、それに加わる松下夫婦の生活を語っている部分などは、作者が対・・・ 宮本百合子 「落ちたままのネジ」
出典:青空文庫