・・・再び粘土がとりあげられた。彼女が何を創ろうと、もう愛する者の心を傷つけることはないであろう。スーは、孤独の代償として自由を甘受して、その群像を完成させた。マークは生前、この群像の女が、手に子供を抱きながら、その目ではどこか遠くを見ている、そ・・・ 宮本百合子 「『この心の誇り』」
・・・『新日本文学』六月号「サガレンの文化――転換期の一断面」埴原一丞の文章の小原壮助に着目されている部分ではこうかいている。一九四七年、豊原市に二十人位の文学志望者があって、新聞『新生命』を中心に樺太文学協会をつくろうということになった。第・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・ どの小道へ曲っても、乾いた太陽と風とがある。 粘土と平ったい石片とで築かれたアラビア人の城砦の廃墟というのへ登り、風にさからって展望すると、バクーの新市街の方はヨーロッパ風の建物の尖塔や窓々で燦めいている。けれども目の下の旧市街は・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・ 仕事びらきんときあ、町役場のお役人さんが、藻埴まで行って来なすつあね。 大丈夫よ、オイ、小僧。 乗ってもいいが、帰りの椅子で戻って来ねえと、ぶっぱたくぞ」 六の小さい体は、椅子の刳込みにポックリと工合よく納まる。 嬉し・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・山川菊栄などが実際の発起者で、与謝野晶子、埴原久和代、其の他多勢とロシヤ飢饉救済会の仕事をした。一九二三年関東大震災の被害は直接は受けなかった。三宅やす子の『ウーマンカレント』を中心とし小規模の救援事業をした。野・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ けれ共、その中央の深さは、その土地のものでさえ、馬鹿にはされないほどで、長い年月の間に茂り合った水草は小舟の櫂にすがりついて、行こうとする船足を引き止める。 粘土の浅黒い泥の上に水色の襞が静かにひたひたと打ちかかる。葦に混じって咲・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・何だか粘土質らしい、敷石はずれの地びたの上に、古びた木造の犬小舎がある。 私は、その門から男も女も、活々した姿を現したのを嘗て一瞥したことさえない。門扉が開き、まして近頃はアンテナさえ張ってあるのが見えるから、確に人はいるのだ。それにも・・・ 宮本百合子 「吠える」
・・・砂や小石は多いが、秋日和によく乾いて、しかも粘土がまじっているために、よく固まっていて、海のそばのように踝を埋めて人を悩ますことはない。 藁葺きの家が何軒も立ち並んだ一構えが柞の林に囲まれて、それに夕日がかっとさしているところに通りかか・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・ 元来仏像はギリシア彫刻の影響の下にガンダーラで始まったのであるが、初期には主として石彫であって、漆喰や粘土を使う塑像は少なかった。がこの初期のガンダーラの美術は、三世紀の中ごろクシャーナ王朝の滅亡とともにいったん中絶し、一世紀余を経て・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫