・・・……当日は伺候の芸者大勢がいずれも売出しの白粉の銘、仙牡丹に因んだ趣向をした。幇間なかまは、大尽客を、獅子に擬え、黒牡丹と題して、金の角の縫いぐるみの牛になって、大広間へ罷出で、馬には狐だから、牛に狸が乗った、滑稽の果は、縫ぐるみを崩すと、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・は染めねばならず、夜具の皮は買わねばならず、裏は天地で間に合っても、裲襠の色は変えねばならず、茶は切れる、時計は留る、小間物屋は朝から来る、朋輩は落籍のがある、内証では小児が死ぬ、書記の内へ水がつく、幇間がはな会をやる、相撲が近所で興行する・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ しかもこの人は牛込南町辺に住居する法官である。去年まず検事補に叙せられたのが、今年になって夏のはじめ、新に大審院の判事に任ぜられると直ぐに暑中休暇になったが、暑さが厳しい年であったため、痩せるまでの煩いをしたために、院が開けてからも二・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・おともはざっと幇間だな。」「あ、当りました、旦那。」 と言ったが、軽く膝で手を拍って、「ほんに、辻占がよくって、猟のお客様はお喜びでございましょう。」「お喜びかね。ふう成程――ああ大した勢いだね。おお、この静寂な霜の湖を船で・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・しかも漢詩漢文や和歌国文は士太夫の慰みであるが、小説戯曲の如きは町人遊冶郎の道楽であって、士人の風上にも置くまじきものと思われていた故、小説戯曲の作者は幇間遊芸人と同列に見られていた。勧善懲悪の旧旗幟を撞砕した坪内氏の大斧は小説其物の内容に・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ 文芸が趣味であり、また、単に自己享楽のためであり、若しくは、芸であると解する人々は、いかに理窟を言っても、根性の底に、昔の幇間的態度の抜けないのを見る。それは文芸の隆盛な時代は、大概太平な時代であったからである。そして、芸術が享楽階級・・・ 小川未明 「芸術は革命的精神に醗酵す」
・・・多くの作者は、その戯作者気質と、幇間気質を曝露している。むしろ、これらの作家の小説と並んでその傍に、二、三行で報道されている、××の仕打ちに憤慨して銃を自分の口にあてゝ足で引金を踏んで自殺したという兵卒の記事の方が、はるかに深い暗示に富んで・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・そこは、ごまかしが、きくんだけども、幇間の役までさせられて、」ふっと口を噤んだ。 第三回 茶店の老婆が、親子どんぶりを一つ、盆に捧げて持って来た。「食べたら、どうかね。」 少年は、急に顔を真赤にして、「君・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・わたくしは仲の町の芸人にはあまり知合いがないが、察するところ、この土地にはその名を知られた師匠株の幇間であろうと思った。 この男は見て見ぬように踊子たちの姿と、物食う様子とを、楽し気に見やりながら静かに手酌の盃を傾けていた。踊子の洋装と・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ 二十九隻の巡洋艦、二十五隻の砲艦が、だんだんだんだん飛びあがりました。おしまいの二隻は、いっしょに出発しました。ここらがどうも烏の軍隊の不規律なところです。 烏の大尉は、杜のすぐ近くまで行って、左に曲がりました。 そのとき烏の・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
出典:青空文庫