・・・が、その拍子に婆さんが、鴉の啼くような声を立てたかと思うと、まるで電気に打たれたように、ピストルは手から落ちてしまいました。これには勇み立った遠藤も、さすがに胆をひしがれたのでしょう、ちょいとの間は不思議そうに、あたりを見廻していましたが、・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
或木曜日の晩、漱石先生の処へ遊びに行っていたら、何かの拍子に赤木桁平が頻に蛇笏を褒めはじめた。当時の僕は十七字などを並べたことのない人間だった。勿論蛇笏の名も知らなかった。が、そう云う偉い人を知らずにいるのは不本意だったか・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
目のあらい簾が、入口にぶらさげてあるので、往来の容子は仕事場にいても、よく見えた。清水へ通う往来は、さっきから、人通りが絶えない。金鼓をかけた法師が通る。壺装束をした女が通る。その後からは、めずらしく、黄牛に曳かせた網代車・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・たとえば昔仁和寺の法師の鼎をかぶって舞ったと云う「つれづれ草」の喜劇をも兼ねぬことはない。 恋は死よりも強し「恋は死よりも強し」と云うのはモオパスサンの小説にもある言葉である。が、死よりも強いものは勿論天下に恋ばかりでは・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・現についこの間も、ある琵琶法師が語ったのを聞けば、俊寛様は御歎きの余り、岩に頭を打ちつけて、狂い死をなすってしまうし、わたしはその御死骸を肩に、身を投げて死んでしまったなどと、云っているではありませんか? またもう一人の琵琶法師は、俊寛様は・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・である――彼はそこで、放肆を諫めたり、奢侈を諫めたりするのと同じように、敢然として、修理の神経衰弱を諫めようとした。 だから、林右衛門は、爾来、機会さえあれば修理に苦諫を進めた。が、修理の逆上は、少しも鎮まるけはいがない。寧ろ、諫めれば・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・検非違使に問われたる旅法師の物語 あの死骸の男には、確かに昨日遇って居ります。昨日の、――さあ、午頃でございましょう。場所は関山から山科へ、参ろうと云う途中でございます。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りま・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・わ法師も金鼓を外したらどうじゃ。そこな侍も山伏も簟を敷いたろうな。「よいか、支度が整うたら、まず第一に年かさな陶器造の翁から、何なりとも話してくれい。」 二 翁「これは、これは、御叮嚀な御挨拶で、下賤な私ど・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・その子供は何の気なしに車から尻を浮かして立ち上がろうとしたのだ。その拍子に牛乳箱の前扉のかけがねが折り悪しくもはずれたので、子供は背中から扉の重みで押さえつけられそうになった。驚いて振り返って、開きかかったその扉を押し戻そうと、小さな手を突・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・その拍子に帽子が天の釘から外れでもしたのか僕は帽子を掴んだまま、まっさかさまに下の方へと落ちはじめました。どこまでもどこまでも。もう草原に足がつきそうだと思うのに、そんなこともなく、際限もなく落ちて行きました。だんだんそこいらが明るくなり、・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
出典:青空文庫