・・・ 文学の地方分散の傾向が、この面で大きく文化的な積極の作用をあらわし、土着の生活的な文学を創り出してゆく刺戟、鼓舞となれば、そこでこそ中村氏の感想に云われているような文学の豊饒への道がつけられるのだろうと思う。 火野葦平氏をかこんで・・・ 宮本百合子 「文学と地方性」
・・・ 二人が一緒に居た時には、彼女自身に想像も出来なかった、何かひどく狂暴な力が、嵐のように捲起って、時には、一夜の安眠をさえ与えない程、若い健な、豊饒な感情の所有者である彼女を苛むのである。 其は勿論、思慕と呼ばれるべき感情であろう。・・・ 宮本百合子 「無題(三)」
・・・ 母が読書好きであった関係から、家の古びた大本箱に茶色表紙の国民文庫が何冊もあって、私は一方で少女世界の当選作文を熱心に読みながら、ろくに訳も分らず竹取物語、平家物語、方丈記、近松、西鶴の作品、雨月物語などを盛によんだ。与謝野晶子さんの・・・ 宮本百合子 「行方不明の処女作」
・・・統的感覚においても美しくしかもそのままローマ綴にしたとき、やはり世界の男が、この日本名の姓を彼らの感情に立って識別できるように扱われているところにも、私は鴎外の内部に融合していた西と東との文化的精髄の豊饒さを思う。この豊饒さは、ある意味で日・・・ 宮本百合子 「歴史の落穂」
・・・ 近頃唱えられているヒューマニズムの論は、性生活においても、その自由な発露と豊饒さを主張しているのであるが、現実の事情をはなれて、自由や豊饒さを語っても、結局はロマンティシズムに堕ちる。十九世紀の近代社会の勃興期におけるロマンティシズム・・・ 宮本百合子 「若き世代への恋愛論」
・・・ 家康が武田の旧臣を身方に招き寄せている最中に、小田原の北条新九郎氏直が甲斐の一揆をかたらって攻めて来た。家康は古府まで出張って、八千足らずの勢をもって北条の五万の兵と対陣した。この時佐橋甚五郎は若武者仲間の水野藤十郎勝成といっしょに若・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・人生の偉大と豊饒とは畢竟心貧しき者の上に恵まれるでしょう。悩める者、貧しき者は福なるかな。私は自分の貧しさに嘆く人々が一日も早く精神の王国の内に、偉大なる英雄たちの築いたあの王国の内に、限りなき命の泉を掬み、強い力と勇気とをもってふるい立つ・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・桂離宮の玄関前とか、大徳寺真珠庵の方丈の庭とかは、その代表的なものと言ってよい。嵯峨の臨川寺の本堂前も、二十七、八年前からそういう苔庭になっている。こういう杉苔は、四季を通じて鮮やかな緑の色調を持ち続け、いつも柔らかそうにふくふくとしている・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
・・・小高いところにあるお寺の方丈か何かで、回りに高い松の樹があり、その梢の方から松籟の爽やかな響きが伝わってくる。碁盤を挟んで対坐しているのは、この寺の住持と、麓の村の地主とであって、いずれもまだ還暦にはならない。時は真夏の午後、三、四時ごろで・・・ 和辻哲郎 「松風の音」
出典:青空文庫