・・・内儀さんはほとほと気息づまるように見えた。 食事が済むと煙草を燻らす暇もなく、父は監督に帳簿を持って来るように命じた。監督が風呂はもちろん食事もつかっていないことを彼が注意したけれども、父はただ「うむ」と言っただけで、取り合わなかった。・・・ 有島武郎 「親子」
・・・燕はほとほとなんとお返事をしていいのかわからないでうつぶいたままでこれもしくしく泣きだしました。 王子はやがて涙をはらって、「ああこれは私が弱かった。泣くほど自分のものをおしんでそれを人にほどこしたとてなんの役にたつものぞ。心から喜・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・こんなわけで龍雄の両親は、わが子にほとほと困ったのであります。学校にいる中は、成績はいいほうでありましたけれど、やはり友だちをいじめたり、先生のいうことをきかなかったりして先生を困らしました。しかし小学校を卒業すると、家がどちらかといえば貧・・・ 小川未明 「海へ」
・・・どういう風に慰めるべきか、ほとほと思案に余った。 女は袂から器用に手巾をとりだして、そしてまた泣きだした。 その時、思いがけず廊下に足音がきこえた。かなり乱暴な足音だった。 私はなぜかはっとした。女もいきなり泣きやんでしまった。・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・……この売りと買いの勝負は、むろんお前の負けで、買い占めた本をはがして、包紙にする訳にも思えば参らず、さすがのお前もほとほと困って挙句に考えついたのが「川那子丹造美談集」の自費出版。 しかし、これはおかしい程売れず、結果、学校、官庁、団・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・立って千日前へ浪花節を聴きに行ったとき、立て込んだ寄席の中で、誰かに悪戯をされたとて、キャッーと大声を出して騒ぎまわった蝶子を見て、えらい女やと思い、体裁の悪そうな顔で目をしょぼしょぼさせている柳吉にほとほと同情した、と帰って女房に言った。・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・人の噂をなかば偽りとみるも、この事のみは信なりと源叔父がある夜酒に呑まれて語りしを聞けば、彼の年二十八九のころ、春の夜更けて妙見の燈も消えし時、ほとほとと戸たたく者あり。源起きいで誰れぞと問うに、島まで渡したまえというは女の声なり。傾きし月・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・堪らなく痛かったが両親に云えば叱られるから、人前だけは跛も曳かずに痩我慢して痛さを耐えてひた隠しに隠して居ましたが、雑巾掛けのときになって前へ屈んで膝を突くのが痛くて痛くてほとほと閉口しました。然し終に其の為めに叱られるには至りませんでした・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・少しずつの上り下りはあれど、ほとほと平なる路を西へ西へと辿り、田中の原、黒田の原とて小松の生いたる広き原を過ぎ、小前田というに至る。路のほとりにやや大なる寺ありて、如何にやしけむ鐘楼はなく、山門に鐘を懸けたれば二人相見ておぼえず笑う。九時少・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ト、下駄の歯の間に溜った雪に足を取られて、ほとほと顛びそうになった。が、素捷い身のこなし、足の踏立変えの巧さで、二三歩泳ぎはしたが、しゃんと踏止まった。「エーッ」 今度は自分の不覚を自分で叱る意で毒喝したのである。余程肚の中がむしゃ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
出典:青空文庫