・・・喜三郎は彼の呻吟の中に、しばしば八幡大菩薩と云う言葉がかすかに洩れるのを聞いた。殊にある夜は喜三郎が、例のごとく薬を勧めると、甚太夫はじっと彼を見て、「喜三郎。」と弱い声を出した。それからまたしばらくして、「おれは命が惜しいわ。」と云った。・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・せめては今日会っただけでも、仏菩薩の御慈悲と思うが好い。」と、親のように慰めて下さいました。「はい、もう泣きは致しません。御房は、――御房の御住居は、この界隈でございますか?」「住居か? 住居はあの山の陰じゃ。」 俊寛様は魚を下・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・――竜樹菩薩に関する俗伝より―― 芥川竜之介 「青年と死」
・・・これは、邸内に妙見大菩薩があって、その神前の水吹石と云う石が、火災のある毎に水を吹くので、未嘗、焼けたと云う事のない屋敷である。第二に、五月上旬、門へ打つ守り札を、魚籃の愛染院から奉ったのを見ると、御武運長久御息災とある可き所に災の字が書い・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・八百万の神々、十方の諸菩薩、どうかこの嘘の剥げませぬように。 二 黄泉の使、玉造の小町を背負いながら、闇穴道を歩いて来る。 小町 (金切声どこへ行くのです? どこへ行くのです? 使 地獄へ行くのです。・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩のように見えたのです。わたしはその咄嗟の間に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。 何、男を殺す・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・……と、場所がよくない、そこらの口の悪いのが、日光がえりを、美術の淵源地、荘厳の廚子から影向した、女菩薩とは心得ず、ただ雷の本場と心得、ごろごろさん、ごろさんと、以来かのおんなを渾名した。――嬰児が、二つ三つ、片口をきくようになると、可哀相・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・「……干鯛かいらいし……ええと、蛸とくあのく鱈、三百三もんに買うて、鰤菩薩に参らする――ですか。とぼけていて、ちょっと愛嬌のあるものです。ほんの一番だけ、あつきあい下さいませんか。」 こう、つれに誘われて、それからの話である。「蛸と・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 御廚子の菩薩は、ちらちらと蝋燭の灯に瞬きたまう。 ――茫然として、銑吉は聞いていた―― 血は、とろとろと流れた、が、氷ったように、大腸小腸、赤肝、碧胆、五臓は見る見る解き発かれ、続いて、首を切れと云う。その、しなりと俎の下へ伸・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ よし、ただ、南無とばかり称え申せ、ここにおわするは、除災、延命、求児の誓願、擁護愛愍の菩薩である。「お爺さん、ああ、それに、生意気をいうようだけれど、これは素晴らしい名作です。私は知らないが、友達に大分出来る彫刻家があるので、門前・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
出典:青空文庫