・・・小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・そして居住地域の産院、母子健康相談所が、若い母と子との健康のために助力します。これは、工場や官庁に働く婦人、女教師などに大体同じ事情です。婦人と職業、結婚、家庭生活の問題は、いまの日本ですべての若いまじめな女性の問題です。社会のために行われ・・・ 宮本百合子 「生きるための協力者」
・・・ この不運な母子の一事件は、実に多くのことを考えさせる。日本の民法が、法律上における婦人の無能力を規定している範囲は、何とひろいことだろう。女子は成年に達して、やっと法律上の人格をもつや否や、結婚によって「妻の無能力」に陥ってしまう。婦・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・どの家だってごく狭いのだが、一太母子は一層狭い場所に暮した。「お前んち、どこ?」と訊かれると、一太は、「潮田さんちの隣だよ」と躊躇せず答えた。が、それは家ではない、ただ部屋と云う方が正しかった。つまり、一太の母子は、長屋の一・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・祖母と八十二のおばあさんは廊下越しに離れた仏間に、逃げて来た母子は女中と茶の間に。家には平穏な寝息、戸外には夜露にぬれた耕地、光の霧のような月光、蛙の声がある。――眠りつかないうちに、「かすかに風が出て来たらしいな」私は、雨戸に何か触るカサ・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・隣家の小母さんであるならば、鬼女もその娘に手をのばしはしなかったろう。母子関係の常套には新しい窓がひらかれる必要がある。 被害者 犯罪に顛落する復員軍人が多いことについて、復員省は上奏文を出し「聖上深く御憂慮」・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・大テーブルに向って、両肱をついて両手を額に当て、まわりのうるささをふせぐために拇指で耳をふさいで、マリヤが何かはじめたら、もう彼女の頭脳は吸いこむように働きはじめ、驚くばかりの記憶力のなかへそれをたたみ込むのでした。女学生時代の写真を見ると・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
・・・ 網野さんは軽く拇指と人さし指の先で自分の腕をつまんだ。「じゃ、私はどうです」「私は?」 網野さんは真面目な顔で差しだされた腕を一々抓み、「すこうし――ね?」と云った。「どれ」 今度は私共が各やって見た。子供・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・ いつもいつも物を考える時はきっとする様に、男みたいな額の角を人指し指と拇指で揉みながら、影の様にガラスの被の中で音も立てずに廻って居る時計だの、その前のテーブルの上に置いてある花の鉢だのを眺め廻す。 くすんだ様な部屋の中に、ポッツ・・・ 宮本百合子 「草の根元」
・・・ 貧困、失業、働く妻、母子などの生活のさまざまな瞬間をとらえて描いているケーテの作品を一枚一枚と見てゆくと、この婦人画家がどんなに自分を偽ることができない心をもっていたかを痛感する。何か感動させる光景に出会った時、または心をとらえる人の・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
出典:青空文庫