・・・男は確かに砂埃りにまみれたぼろぼろの上衣を着用している。常子はこの男の姿にほとんど恐怖に近いものを感じた。「何か御用でございますか?」 男は何とも返事をせずに髪の長い頭を垂れている。常子はその姿を透かして見ながら、もう一度恐る恐る繰・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・銃を抱いたロビンソンはぼろぼろのズボンの膝をかかえながら、いつも猿を眺めてはもの凄い微笑を浮かべていた。鉛色の顔をしかめたまま、憂鬱に空を見上げた猿を。 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・彼れは腹がけの丼の中を探り廻わしてぼろぼろの紙の塊をつかみ出した。そして筍の皮を剥ぐように幾枚もの紙を剥がすと真黒になった三文判がころがり出た。彼れはそれに息気を吹きかけて証書に孔のあくほど押しつけた。そして渡された一枚を判と一緒に丼の底に・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・――思わず、きゅうと息を引き、馬蛤の穴を刎飛んで、田打蟹が、ぼろぼろ打つでしゅ、泡ほどの砂の沫を被って転がって遁げる時、口惜しさに、奴の穿いた、奢った長靴、丹精に磨いた自慢の向脛へ、この唾をかッと吐掛けたれば、この一呪詛によって、あの、ご秘・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ と、ぼろぼろ泪をこぼして、浅ましい。嘘の泪が本当とすれば、恐らく折角手折ろうとした花に逃げられる悲しさからだろうか。まさか、と思うが、しかし、存外、そんなところもあるお前だったかも知れない。 泣かれて、女事務員は辞職を思い止まった・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・小僧はだぶだぶの白足袋に藁草履をはいて、膝きりのぼろぼろな筒袖を着て、浅黄の風呂敷包を肩にかけていた。「こらこら手前まだいやがるんか。ここは手前なぞには用のないところなんだぜ。出て行け!」 掃除に来た駅夫に、襟首をつかまえられて小突・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・鬚根がぼろぼろした土をつけて下がっている、壊えた赤土のなかから大きな霜柱が光っていた。 ××というのは、思い出せなかったが、覇気に富んだ開墾家で知られているある宗門の僧侶――そんな見当だった。また○○の木というのは、気根を出す榕樹に連想・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・ 汗じみて色の変わった縮布の洋服を着て脚絆の紺もあせ草鞋もぼろぼろしている。都からの落人でなければこんな風をしてはいない。すなわち上田豊吉である。 二十年ぶりの故郷の様子は随分変わっていた。日本全国、どこの城下も町は新しく変わり、士・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・と老の眼に涙をぼろぼろこぼすことがある。 こんな風で何時しか秋の半となった。細川繁は風邪を引いていたので四五日先生を訪うことが出来なかったが熱も去ったので或夜七時頃から出かけて行た。 家内が珍らしくも寂然としているので細川は少し不審・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・上から下まできれいな彫り飾りがついたりしていて、ウイリイたちのぼろぼろの家と比べると、小さいながら、まるで御殿のように立派な家でした。 ところが、その家には窓が一つもなくて、ただ屋根の下の、高いところに戸口がたった一つついているきりです・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫