・・・そのかんなくずの上に、何だかしゅろであんだ、ぼろぼろの靴ぬぐいをまるめ上げたような、そういう色とかっこうをしたものがころがっています。犬は、そのへんなもののまえに、くわえて来た肉のきれをおいて、くんくんなきつづけました。しかしそのへんなもの・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・歯が、ぼろぼろに欠け、背中は曲り、ぜんそくに苦しみながらも、小暗い露路で、一生懸命ヴァイオリンを奏している、かの見るかげもない老爺の辻音楽師を、諸君は、笑うことができるであろうか。私は、自身を、それに近いと思っている。社会的には、もう最初か・・・ 太宰治 「鴎」
・・・老い疲れたる帝国大学生、袖口ぼろぼろ、蚊の脛ほどに細長きズボン、鼠いろのスプリングを羽織って、不思議や、若き日のボオドレエルの肖像と瓜二つ。破帽をあみだにかぶり直して歌舞伎座、一幕見席の入口に吸いこまれた。 舞台では菊五郎の権八が、した・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・どんなにぼろぼろでも自分専用の楯があったら」「あります」私は思わず口をはさんだ。「イミテエション!」「そうだ。佐野次郎にしちゃ大出来だ。一世一代だぞ、これあ。太宰さん。附け鬚模様の銀鍍金の楯があなたによく似合うそうですよ。いや、太宰・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・歯がぼろぼろに欠けて来た。私は、いやしい顔になった。私は、アパートの近くの下宿に移った。最下等の下宿屋であった。私は、それが自分に、ふさわしいと思った。これが、この世の見おさめと、門辺に立てば月かげや、枯野は走り、松は佇む。私は、下宿の四畳・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・言葉どおりにぼろぼろの着物をきて、頬かぶりをした手ぬぐいの穴から一束の蓬髪が飛び出していたように思う。 しらみを取っているのだということはもちろんはじめは知らなかった。だれかから教わって始めて覚えたことである。きたない着物を引っぱっては・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・黒の頬冠り、黒の肩掛けで、後ろの裳はぼろぼろにきれかかっている。欄干から恐ろしい怪物の形がいくつもパリを見おろしている。「この怪物をごらんなさい。Penseur. 年じゅうこうやって頬杖をついたまま考えています」という。また鐘楼へもどっ・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ 畑中にある民家でぼろぼろに腐朽しているらしく見えていながら存外無事なのがある。そういう家は大抵周囲に植木が植込んであって、それが有力な障壁の役をしたものらしい。これに反して新道沿いに新しく出来た当世風の二階家などで大損害を受けているら・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・左手はとびとびに人家のつづいている中に、不動院という門構の寺や、医者の家、土蔵づくりの雑貨店なども交っているが、その間の路地を覗くと、見るも哀れな裏長屋が、向きも方角もなく入り乱れてぼろぼろの亜鉛屋根を並べている。普請中の貸家も見える。道の・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・池の方に眼を向けたまま音ある方へ徐ろに歩を移す。ぼろぼろと崩るる苔の皮の、厚く柔らかなれば、あるく時も、坐れる時の如く林の中は森として静かである。足音に我が動くを知るものの、音なければ動く事を忘るるか、ウィリアムは歩むとは思わず只ふらふらと・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫