・・・ところで、なんぜ油を嘗めよったかと言うと、いまもいう節で、虐待されとるから油でも嘗めんことには栄養の取り様がない。まあ、言うたら、止むに止まれん栄養上の必要や。それに普通の冷たやつやったら嘗めにくいけど行燈の奴は火イで温くめたアるによって、・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・「まあお入りなさい」彼は少し酒の気の廻っていた処なので、坐ったなり元気好く声をかけた。「否もうこゝで結構です。一寸そこまで散歩に来たものですからな。……それで何ですかな、家が定まりましたでしょうな? もう定まったでしょうな?」「・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・それはまあ一般に言えば人の秘密を盗み見るという魅力なんですが、僕のはもう一つ進んで人のベッドシーンが見たい、結局はそういったことに帰着するんじゃないかと思われるような特殊な執着があるらしいんです。いや、そんなものをほんとうに見たことなんぞは・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・それに私もお付き申しているから、と言っても随分怪しいものですが、まあまあお気遣いのようなことは決してさせませんつもり、しかしおいやでは仕方がないが。 いやでござりますともさすがに言いかねて猶予う光代、進まぬ色を辰弥は見て取りて、なお口軽・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・「おやまあ可いお色ですこと」と母は今自分を睨みつけていた眼に媚を浮べて「何処で」「ハッハッ……それは軍事上の秘密に属します」と軍曹酒気を吐いて「お茶を一ぱい頂戴」「今入れているじゃありませんか、性急ない児だ」と母は湯呑に充満注い・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・「伍長殿。」剣鞘で老人の尻を叩いている男に、さきの一人が思い切った調子で云った。それは栗島だった。「どっか僕が偽せ札をこしらえた証拠が見つかりましたか?」「まあ待て!」伍長は栗島を振りかえった。「このヨボが僕に札を渡したって云っ・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・だから他郷へ出て苦労をするにしても、それそれの道順を踏まなければ、ただあっちこっちでこづき廻されて無駄に苦しい思をするばかり、そのうちにあ碌で無い智慧の方が付きがちのものだから、まあまあ無暗に広い世間へ出たって好いことは無い、源さんも辛いだ・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・刑事の方がかえって面喰らって、「まあ/\、こういう時にはそれ一人息子だ。優しい言葉の一つ位はかけてやるもンだよ。」すると、くるりと向き直って「えッ、お前さんなんて黙ってけずかれ!」とがなりかえした。ところが、その進が右手一杯にホウ帯をしてい・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・其時自分は目を細くして幾度となく若葉の臭を嗅いで、寂しいとも心細いとも名のつけようのない――まあ病人のように弱い気分になった。半生の間の歓しいや哀しいが胸の中に浮んで来た。あの長い漂泊の苦痛を考えると、よく自分のようなものが斯うして今日まで・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・不景気だからね。まあ大変に窶れているじゃあないか。そんなになったからには息張っていては行けないよ。息張るの高慢ぶるのという事は、わたしなんぞはとっくに忘れてしまったのだ。世に人鬼は無いものだ。つい構わずにどの内へでも這入って御覧よ。」 ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
出典:青空文庫