・・・新蔵は毎度の事ながら、この時もやはり頭痛さえ忘れるほど、何とも云えない恐怖を感じて、思わず救いを求めるごとく、ほかの乗客たちの顔を見廻しました。と、斜に新蔵と向い合った、どこかの隠居らしい婆さんが一人、黒絽の被布の襟を抜いて、金縁の眼鏡越し・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・こんなことは毎度でございますから」 朝飯をすますとこう言って、その人はすぐ身じたくにかかった。そして監督の案内で農場内を見てまわった。「私は実はこちらを拝見するのははじめてで、帳場に任して何もさせていたもんでございますから、……もっ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・「大慈大悲は仏菩薩にこそおわすれ、この年老いた気の弱りに、毎度御意見は申すなれども、姫神、任侠の御気風ましまし、ともあれ、先んじて、お袖に縋ったものの願い事を、お聞届けの模様がある。一たび取次いでおましょうぞ――えいとな。…… や、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 一体こうした僻地で、これが源氏の畠でなければ、さしずめ平家の落人が隠れようという処なんで、毎度怪い事を聞きます。この道が開けません、つい以前の事ですが。……お待ち下さい……この浦一円は鰯の漁場で、秋十月の半ばからは袋網というのを曳きま・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・「どうも、毎度、子供がお世話になって」と、炉を隔てて僕と相対したお貞婆さんが改まって挨拶をした。「どうせ、丁寧に教えてあげる暇はないのだから、お礼を言われるまでのことはないのです」「この暑いのに、よう精が出ます、な、朝から晩まで・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・と、はいって来たのは左隣の鶴さんという男で、聴けば鶴さんは毎度のことながら細君のオトラ婆さんと喧嘩をしてもう顔を見る気もしない、幸いここへ置いていただければというのである。鶴さんはもと料理人で東京の一流料理店で相当庖丁の冴えを見せていたのだ・・・ 織田作之助 「電報」
・・・ お神さんはしきりと幸ちゃんをほめて、実はこれは毎度のことであるが、そして今度の継母はどうやら人が悪そうだからきっと、幸ちゃんにはつらく当たるだろうと言ッた。『いい歳をしてもう今度で三度めですよ、第一小供がかあいそうでさア。』『・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・母はそろそろ気嫌を改ためて、「ああそれは難有う。毎度お気の毒だと思うんだけれど、ツイね私の方も請取る金が都合よく請取れなかったりするものだから、此方も困るだろうとは知りつつ、何処へも言って行く処がないし、ツイね」と言って莞爾。 能く・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
師走上旬 月日。「拝復。お言いつけの原稿用紙五百枚、御入手の趣、小生も安心いたしました。毎度の御引立、あり難く御礼申しあげます。しかも、このたびの御手簡には、小生ごときにまで誠実懇切の御忠告、あまり文壇・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・夕食の少しまえに、私はすぐ近くの四十九聯隊の練兵場へ散歩に出て、二、三の犬が私のあとについてきて、いまにも踵をがぶりとやられはせぬかと生きた気もせず、けれども毎度のことであり、観念して無心平生を装い、ぱっと脱兎のごとく逃げたい衝動を懸命に抑・・・ 太宰治 「畜犬談」
出典:青空文庫