・・・ あまりに、あたりの海は暗く、寒く、海豹の心を楽しませる何もなかったからです。「さびしいか?」と言って、僅かに月は声をかけてやりましたが、海豹は悲しい胸のうちを、空を仰いで訴えたのでした。 しかし、月は自分の力で、それを何うする・・・ 小川未明 「月と海豹」
・・・そこでダンサーに身の上話をさせることによって悪漢騎手の旧情夫の存在を観客に呑込ませる。そうして後に不利な証拠物件を提供するためにダンサーの指環を靴磨きに贈らせ、靴磨きの金鎚をその部屋に遺却させる。彼等のアパートにおける目撃者としてアパートの・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・大事なしかもかなり六かしい事柄の核心を平明にはっきり呑込ませる術を心得ているようであった。結局先生自身がその学問の奥底まではっきり突きとめて自分のものにしてしまっているせいだろうと思われた。日本の大学でもこうした講義がいちばん必要であろうと・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・ 光の反射屈折に関する基礎法則を本当によく呑込ませることに全力を集注し、そうしてそれを解説するに最適切な二、三の実例を身にしみるように理解させれば、その余の複雑な光学器械などは、興味さえあらば手近な本や雑誌を見てひとりで分かることである・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・国内で、妻とし母とし姉として侵略戦争に反対できなかったばかりか、日々に日本の女をやせさせ黒ませる辛酸が、その本質は非人道なファシズム戦争であるということを知りさえもしないで、重荷に堪えさせられた。その重荷が、きょうの現実でどう減ったというの・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
出典:青空文庫