・・・乙姫は――彼はちょっと考えた後、乙姫もやはり衣裳だけは一面に赤い色を塗ることにした。浦島太郎は考えずとも好い、漁夫の着物は濃い藍色、腰蓑は薄い黄色である。ただ細い釣竿にずっと黄色をなするのは存外彼にはむずかしかった。蓑亀も毛だけを緑に塗るの・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・この上私が沈黙を守るとすればそれは徒に妻を窘める事になるよりほかはございません。そこで、私は、額にのせた氷嚢が落ちないように、静に顔を妻の方へ向けながら、低い声で「許してくれ。己はお前に隠して置いた事がある。」と申しました。そうしてそれから・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・男もそうすればわたしの太刀に、血を塗る事にはならなかったのです。が、薄暗い藪の中に、じっと女の顔を見た刹那、わたしは男を殺さない限り、ここは去るまいと覚悟しました。 しかし男を殺すにしても、卑怯な殺し方はしたくありません。わたしは男の縄・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・戸部、茶碗から水をすくって眼のふちに塗る。花田、戸をあけに行く。――幕―― 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・べたりと味噌を塗った太擂粉木で、踊り踊り、不意を襲って、あれ、きゃア、ワッと言う隙あらばこそ、見物、いや、参詣の紳士はもとより、装を凝らした貴婦人令嬢の顔へ、ヌッと突出し、べたり、ぐしゃッ、どろり、と塗る……と話す頃は、円髷が腹筋を横による・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・運び残した財物も少くないから、夜を守る考えも起った。物置の天井に一坪に足らぬ場所を発見してここに蒲団を展べ、自分はそこに横たわって見た。これならば夜をここに寝られぬ事もないと思ったが、ここへ眠ってしまえば少しも夜の守りにはならないと気づいた・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ウヌ生ふざけて……親不孝ものめが、この上にも親の面に泥を塗るつもりか、ウヌよくも……」 おとよは泣き伏す。父はこらえかねた憤怒の眼を光らしいきなり立ち上がった。母もあわてて立ってそれにすがりつく。「お千代やお千代や……早くきてくれ」・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・高誼に対して済まぬから、年長者の義務としても門生でも何でもなくても日頃親しく出入する由縁から十分訓誡して目を覚まさしてやろうと思い、一つはYを四角四面の謹厳一方の青年と信じ切らないまでも恩人の顔に泥を塗る不義な人間とも思わなかったのが裏切ら・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 有体に言うと今の文人の多くは各々蝸牛の殻を守るに汲々として互いに相褒め合ったり罵り合ったりして聊かの小問題を一大事として鎬を削ってる。毎日の新聞、毎月の雑誌に論難攻撃は絶えた事は無いが、尽く皆文人対文人の問題――主張対主張の問題では無・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・元来これは絵画の領域に属するもので、絵画の上ではあらゆる物象だの、影だのを色彩で以て平たい板の上に塗るので、時間的に事件を語っているものではない。併し、それが最近の色彩派になって来ると、絵画が動くようなところに進んでいると思う。 例えば・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
出典:青空文庫