・・・ そして、笛の穴をのぞきながら、「この穴の中に、なにか小さな魔物でもすんでいるのではないか?」と思いました。 このとき、海の方から、ため息をつくように、軽いあたたかな風が、吹いてきました。「ほんとうに、不思議な笛だ。」 二郎・・・ 小川未明 「赤い船のお客」
・・・おまえは、その姿を見たか、魔物か、人間か。黒い着物をきて破れた灰色の旗がひるがえる。 風は、歌って聞かせました。そして、強く、強く吹き出しました。木の芽ばかりでなく、野原に生えていた、すべての草や、林が、驚いて騒ぎ出・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・そして、星の影は、魔物の目のようにすごく光ります。どんな人間でも、露宿することはできますまい。あの、あおずんだ、真夜中の景色を、あなたに見せたいものです。」 だまって、しんぱくの話をきいていたいわつばめは、急に身ぶるいをしました。そして・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・そして是は自分の智慧の箭の的たるべき魔物が其中に在ることは在るに違無いが何処に在るか分らないので、吾が頼むところの利器の向け処を知らぬ悩みに苦しめられ、そして又今しがた放った箭が明らかに何も無いところに取りっぱなしにされた無効さの屈辱に憤り・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・一寸の仕合せには一尺の魔物が必ずくっついてまいります。人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。あなたの旦那の大谷さんが、はじめて私どもの店に来ましたのは、昭和十九年の、春でしたか、とにかくその頃・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ 黄村先生があのように老いの胸の内を焼きこがして恋いしたっていた日本一の、いや世界一の魔物、いや魔物ではない、もったいない話だ、霊物が、思わざりき、湯村の見世物になっているとは、それこそ夢に夢みるような話だ。誰もこの霊物の真価を知るまい。こ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・おれだって、凶暴な魔物ではない。妻子を見殺しにして平然、というような「度胸」を持ってはいないのだ。配給や登録の事だって、知らないのではない、知るひまが無いのだ。……父は、そう心の中で呟き、しかし、それを言い出す自信も無く、また、言い出して母・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・ なんとも酒は、魔物である。 太宰治 「禁酒の心」
・・・やはり私は、詩という魔物のために、一生をあやまったのかも知れません。しかし、あの時、印刷所のおかみさんと千葉県が、も少し私に優しく、そうして静かに意見してくれたら、私はふっつりと詩三昧を思い切り、まじめな印刷工にかえっていまごろはかなりの印・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・と上に反らせたままの、あの、くすぐったい手つきでチョコレートをつまみ、口に入れるより早く嚥下し、間髪をいれずドロップを口中に投げ込み、ばりばり噛み砕いて次は又、チョコレート、瞬時にしてドロップ、飢餓の魔物の如くむさぼり食うのである。朝食の時・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
出典:青空文庫