・・・河内路や東風吹き送る巫女が袖雉鳴くや草の武蔵の八平氏三河なる八橋も近き田植かな楊州の津も見えそめて雲の峰夏山や通ひなれたる若狭人狐火やいづこ河内の麦畠しのゝめや露を近江の麻畠初汐や朝日の中に伊豆相模大・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・「橋梁架設工事」「生活の脈動」「町工場」「シベッチャの山峡」「下水工事場」「三河島町風景」「無題」などの中に、いくつか印象のつよい作がありました。山田清三郎が獄中からよこす歌には何とも云えぬ素直さ、鍛えられた土台の上に安々としている或るユー・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
・・・その崖からは三河島一帯が低く遠くまで霞んで見わたせた。低いそっちは東で、反対の西側、うちのある方は、見はらしがきかなくて、お寺になっていた。 お寺の庭は土がかたく平らで、はだしで繩とびをするのに、ひどく工合がよかった。春のまだひいやりす・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・ 浜松の城ができて、当時三河守と名のった家康はそれにはいって、嫡子信康を自分のこれまでいた岡崎の城に住まわせた。そこで信康は岡崎二郎三郎と名のることになった。この岡崎殿が十八歳ばかりの時、主人より年の二つほど若い小姓に佐橋甚五郎とい・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
文化六年の春が暮れて行く頃であった。麻布竜土町の、今歩兵第三聯隊の兵営になっている地所の南隣で、三河国奥殿の領主松平左七郎乗羨と云う大名の邸の中に、大工が這入って小さい明家を修復している。近所のものが誰の住まいになるのだと・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・ 本多佐渡守は三河の徳川家の譜代の臣であるが、家康若年のころの野呂一揆に味方し、一揆が鎮圧したとき、徳川家を逐電して、一向一揆の本場の加賀へ行ってしまった。そうしてそこで十八年働いた後に、四十五歳の時、本能寺の変に際して家康のもとに帰参・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫