・・・見かえればかしこなるは哀れを今も、七百年の後にひく六代御前の杜なり。木がらしその梢に鳴りつ。 落葉を浮かべて、ゆるやかに流るるこの沼川を、漕ぎ上る舟、知らずいずれの時か心地よき追分の節おもしろくこの舟より響きわたりて霜夜の前ぶれをか為し・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・自分はある友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ それにもまして美しい、私の感嘆してやまない消息は新尼御前への返書として、故郷の父母の追憶を述べた文字である。「海苔一ふくろ送り給ひ畢んぬ。……峰に上りてわかめや生ひたると見候へば、さにてはなくて蕨のみ並び立ちたり。谷に下りて、あま・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・客と主人との間の話で、今日学校で主人が校長から命ぜられた、それは一週間ばかり後に天子様が学校へご臨幸下さる、その折に主人が御前で製作をしてご覧に入れるよう、そしてその製品を直に、学校から献納し、お持帰りいただくということだったのが、解ったの・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ここの御社の御前の狛犬は全く狼の相をなせり。八幡の鳩、春日の鹿などの如く、狼をここの御社の御使いなりとすればなるべし。 さてこれより金崎へ至らんとするに、来し路を元のところまで返りて行かんもおかしからねばとて、おおよその考えのみを心頼み・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・七「困ったって、私は人の家へ往ってお辞儀をするのは嫌いだもの、高貴の人の前で口をきくのが厭だ、気が詰って厭な事だ、お大名方の御前へ出ると盃を下すったり、我儘な変なことを云うから其れが厭で、私は宅に引込んでゝ何処へも往かない、それで悪けれ・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・で、まあ新講談と思えば、講談の奇想天外にはまた捨てがたいところもあるのだから、楽しく読めることもあるけれど、あの、深刻そうな、人間味を持たせるとかいって、楠木正成が、むやみ矢鱈に、淋しい、と言ったり、御前会議が、まるでもう同人雑誌の合評会の・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・「あたし、巴御前じゃない。薙刀もって奮戦するなんて、いやなこった。」「似合うよ。」「だめ。あたし、ちびだから、薙刀に負けちゃう。」 ふふ、と数枝は笑った。数枝の気嫌が直ったらしいので、さちよは嬉しく、「ねえ。あたしの言うこと・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・と駄目をおし、「むかし嵯峨のさくげん和尚の入唐あそばして後、信長公の御前にての物語に、りやうじゆせんの御池の蓮葉は、およそ一枚が二間四方ほどひらきて、此かほる風心よく、此葉の上に昼寝して涼む人あると語りたまへば、信長笑わせ給へば、云々」とあ・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・根津を抜けて帰るつもりであったが頻繁に襲って来る余震で煉瓦壁の頽れかかったのがあらたに倒れたりするのを見て低湿地の街路は危険だと思ったから谷中三崎町から団子坂へ向かった。谷中の狭い町の両側に倒れかかった家もあった。塩煎餅屋の取散らされた店先・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
出典:青空文庫