・・・入手できない書物にあるいは潜んでいるかも知れない未知の重大な思想も、触れなければ触れないで済まして置こうと思う。未知の恋人同様、会わなければ会わないで、また心安らかであろう。新刊書が入手しにくくなったという苦情もきくが、しかし、入手し損って・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・そして未知の世界を知ろうとする強烈な好奇心が安子の肩と胸ではげしく鳴っていた。 やがてその部屋を出てゆく時、安子は皆が大騒ぎをしていることって、たったあれだけのことか、なんだつまらないと思ったが、しかし翌日、安子は荒木に誘われるままに家・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・で今度もまた、昨年の十月ごろ日光の山中で彼女に流産を強いた、というようにでも書き続けて行こうとも思って、夕方近くなって机に向ったのだったが、年暮れに未知の人からよこされた手紙のことが、竦然とした感じでふと思いだされて、自分はペンを措いて鬱ぎ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・自分は自分の愛するものは他人も愛するにちがいないという好意に満ちた考えで話をしていたと思っていた。しかしその少し強制がましい調子のなかには、自分の持っている欲望を、言わば相手の身体にこすりつけて、自分と同じような人間を製造しようとしていたよ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 彼の視野のなかで消散したり凝聚したりしていた風景は、ある瞬間それが実に親しい風景だったかのように、またある瞬間は全く未知の風景のように見えはじめる。そしてある瞬間が過ぎた。――喬にはもう、どこまでが彼の想念であり、どこからが深夜の町で・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・源叔父は五人の客乗せて纜解かんとす、三人の若者駈けきたりて乗りこめば舟には人満ちたり。島にかえる娘二人は姉妹らしく、頭に手拭かぶり手に小さき包み持ちぬ。残り五人は浦人なり、後れて乗りこみし若者二人のほかの三人は老夫婦と連の小児なり。人々は町・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・如何に多くのイデアリストの憧憬に満ちたる青年が、このことからたちまち壮年の世俗的リアリズムに転落したことであろうか。 かりに既婚者の男子が一人の美しき娘を見るのと、未婚者の男子がそうするのとでは、後者の方がはるかに憧憬に満ちたものである・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・青春は浪曼性とともにある。未知と被覆とを無作法にかなぐり捨てて、わざと人生の醜悪を暴露しようとする者には、青春も恋愛も顔をそむけ去るのは当然なことである。 三 恋愛の本質は何か 恋愛とは何かという問題は昔から種々なる・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・………… ウォルコフは、憎悪に満ちた眼で窓から、丘に現れた兵士を見ていた。 丘に散らばった兵士達は、丘を横ぎり、丘を下って、喜ばしそうに何か叫びながら、村へ這入ってきた。そのあとへ、丘の上には、また、別な機関銃を持った一隊が現れてき・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・夜の涼しさは座敷に満ちた。 幸田露伴 「太郎坊」
出典:青空文庫