・・・埠頭から七マイルの仏寺へ向かう。途中の沼地に草が茂って水牛が遊んでいたり、川べりにボートを造っている小屋があったり、みんなおもしろい画題になるのであった。土人の女がハイカラな洋装をしてカトリックの教会からゾロゾロ出て来るのに会った。 寺・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・二年振りで横浜へ上陸して、埠頭から停車場へ向かう途中で寛闊な日本服を着て素足で歩いている人々を見た時には、永い間カラーやカフスで責めつけられていた旅の緊張が急に解けるような気がしたが、この心持は間もなく裏切られてしまわねばならなかった。その・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・三毛の死後数日たって後のある朝、研究所を出て深川へ向かう途中の電車で、ふいと三毛の事を考えた。そして自然にこんな童謡のようなものが口ずさまれた。「三毛のお墓に花が散る。こんこんこごめの花が散る。芝にはかげろう鳥の影。小鳥の夢でも見ているか。・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ 長崎を立って時津に向かう途中でロシア人専門の遊廓だというところを通ったら二階から女どもが見下ろして何かしら分らないことを云って呼びかけた。それがやはりロシア語であったことになっている。そんなことは解るはずがないのに、夢のような記憶では・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・たとえば一つの自動車を作ってその機械の自己の作用で向かう所にどこまでも向かわせる場合には便宜とか選択の問題は起こらぬ、車は行く所にしか行かぬのであるが、これが解析的な数学の行き方とすれば物理学のはそうでない。このような自動車のハンドルを握っ・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・注意が自然と其方に向かうのを引戻し引戻しするための努力の方が、努めて聞こうとする場合の努力よりもさらに大きいかもしれない。 しかるに、これが音楽となるとそういう心配はないようである。楽器の音色がかなり違って聞こえても、管弦楽はやはり管弦・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・私は学校のほうへ一歩も向かう勇気はもうない。いやだいやだと思う。室いっぱいに取り散らした荷物を見るとやはり国へ帰りたい念が強く起こる。今宿へ払う金が十円ばかりある。これで、きょう思い切って帰ろうとしきりに思う。しかし国へ帰っても自分のうちへ・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・はごく平穏、円満な家庭であったから、いつでも勉強したいと思う時には、なんの障害もなく、静かに、悠乎と読書に親しむことができたので、特に勉強の時間を定めて焦慮ってやるという必要はなく苦痛を感じながら机に向かうというようなこともさらになかった。・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・ お絹は蔭でそうは言っても、面と向かうと当擦りを言うくらいがせいぜいであった。少し強く出られると返す言葉がなくなって、泣きそうな目をするほど、彼女は気弱であった。いつかの夜道太は辰之助と、三四人女を呼んだあとで、下へおりて辰之助の立てた・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・きものなれば、多妻法、断じて許すべからず、斯る醜行を犯す者は、一家の不幸を醸して、禍を後世子孫に遺すのみならず、内行不取締は醜聞を世界万国に放つものにして、自国の名声を害するの罪人なり云々とて、筆鋒の向かう所は専ら男子にして、婦人の地位如何・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫