・・・よしまたダルガス一人に信仰がありましてもデンマーク人全体に信仰がありませんでしたならば、彼の事業も無効に終ったのであります。この人あり、この民あり、フランスより輸入されたる自由信仰あり、デンマーク自生の自由信仰ありて、この偉業が成ったのであ・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・高山を一つ越えて、もうやがて向こうに海が見えようとするころでありました。かもめは、一羽のからすに出あいました。 からすはカーカーとなきながら、やはり里の方をさして飛んでゆくところでありました。おしゃべりのからすはすぐ、自分の上を飛んでゆ・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・ 都会で、はなやかな生活を送っていらっしゃるお嬢さまは、高い窓からかなたの空をながめて、遠い、知らぬ海の向こうの国々のことなどを、さまざまに想像して、悲しんだり、あこがれたりしていられたのですが、いま、おかよの話をきくと、このところへは・・・ 小川未明 「谷にうたう女」
・・・「そうも思ったんだが、実はその為替期間が切れて無効になってるんだよ」「無効になるまで、放って置いたのか」「忙しいから、つい……」 そういいわけをしていたが、だんだん聴いてみて、私は驚いた。 二 彼・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・手引きをした作家の方が呆れてしまう位、寺田は向こう見ずな賭け方をした。執筆者へ渡す謝礼の金まで注ぎ込み、印刷屋への払いも馬券に変り、ノミ屋へ取られて行った。つねに明日の希望があるところが競馬のありがたさだと言っていた作家も、六日目にはもう印・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・こんなに酒を飲むにしても、どこか川っぷちのレストランみたいなところで、橋の上からだとか向こう岸からだとか見ている人があって飲んでいるのならどんなに楽しいでしょう。『いかにあわれと思うらん』僕には片言のような詩しか口に出て来ないが、実際いつも・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・やっと十時頃溪向こうの山に堰きとめられていた日光が閃々と私の窓を射はじめる。窓を開けて仰ぐと、溪の空は虻や蜂の光点が忙しく飛び交っている。白く輝いた蜘蛛の糸が弓形に膨らんで幾条も幾条も流れてゆく。昆虫。昆虫。初冬といっても彼らの活動は空に織・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・昼間は金毛の兎が遊んでいるように見える谿向こうの枯萱山が、夜になると黒ぐろとした畏怖に変わった。昼間気のつかなかった樹木が異形な姿を空に現わした。夜の外出には提灯を持ってゆかなければならない。月夜というものは提灯の要らない夜ということを意味・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・ 茶店のことゆえ夜に入れば商売なく、冬ならば宵から戸を閉めてしまうなれど夏はそうもできず、置座を店の向こう側なる田のそばまで出しての夕涼み、お絹お常もこの時ばかりは全くの用なし主人の姪らしく、八時過ぎには何も片づけてしまい九時前には湯を・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・』『そら、あの森のところサ御料地の、あそこから向こうの畑と林とを見たところサ。』『なるほどそうだ、』といいながら時田は壁に下げてある小さな水彩画と見比べている。『無論この方がまずいサ。ところがこの絵にはおもしろい話があるからそれ・・・ 国木田独歩 「郊外」
出典:青空文庫