・・・ この始末を聞いた治修は三右衛門を目通りへ召すように命じた。命じたのは必ずしも偶然ではない。第一に治修は聡明の主である。聡明の主だけに何ごとによらず、家来任せということをしない。みずからある判断を下し、みずからその実行を命じないうちは心・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・眼を瞑ったようなつもりで生活というものの中へ深入りしていく気持は、時としてちょうど痒い腫物を自分でメスを執って切開するような快感を伴うこともあった。また時として登りかけた坂から、腰に縄をつけられて後ざまに引き下されるようにも思われた。そうし・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・位の御身とて、威厳あたりを払うにぞ、満堂斉しく声を呑み、高き咳をも漏らさずして、寂然たりしその瞬間、先刻よりちとの身動きだもせで、死灰のごとく、見えたる高峰、軽く見を起こして椅子を離れ、「看護婦、メスを」「ええ」と看護婦の一人は、目・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・しかもその雪なす指は、摩耶夫人が召す白い細い花の手袋のように、正に五弁で、それが九死一生だった私の額に密と乗り、軽く胸に掛ったのを、運命の星を算えるごとく熟と視たのでありますから。―― またその手で、硝子杯の白雪に、鶏卵の蛋黄を溶かした・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・何の事はない、緑雨の風、人品、音声、表情など一切がメスのように鋭どいキビキビした緑雨の警句そのままの具象化であった。 私が緑雨を知ったのは明治二十三年の夏、或る温泉地に遊んでいた時、突然緑雨から手紙を請取ったのが初めてであった。尤もその・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・と、婦人は、光るメスを、はさみを考えると、身ぶるいをしました。「奥さん、T町に有名な先生があります。この方の手術なら、まったく安心して受けられます。けっして二度とやり直しをするようなことはありませんから、ぜひここへいって見ておもらいにな・・・ 小川未明 「世の中のこと」
・・・描写の文学は、西鶴の好色物が武家、僧侶、貴族階級の中世思想に反抗して興った新しい町人階級の人間讃歌であった如く、封建思想が道学者的偏見を有力な味方として人間にかぶせていた偽善のヴェールをひきさく反抗のメスの文学であろうか、それとも、与謝野晶・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・僕はすぐに返事を書き、正成に菊水の旗を送りたいが、しかし、君には、菊水の旗よりも、菊川の旗がお気に召すように思われる。しかし、その菊川も、その後の様子不明で困っている。わかり次第、後便でお知らせする、と言ってやったが、どうにも、彼等一家の様・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・これを錬え直して造った新しい鋭利なメスで、数千年来人間の脳の中にへばり付いていたいわゆる常識的な時空の観念を悉皆削り取った。そしてそれを切り刻んで新しく組立てた「時空の世界像」をそこに安置した。それで重力の秘密は自明的に解釈されると同時に古・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ろにあるのが通例であるが、これらの映画の切り換えのリズムは一つ一つの相次ぐフィルム切片の駒数を数えて、その数字を適当に図示し曲線でも作ってみれば、それによってこの場合の芸術的効果がいくらか科学的分析のメスにかけられる見込みがあるかもしれない・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫