・・・と、大宅太郎光国の恋女房が、滝夜叉姫の山寨に捕えられて、小賊どもの手に松葉燻となる処――樹の枝へ釣上げられ、後手の肱を空に、反返る髪を倒に落して、ヒイヒイと咽んで泣く。やがて夫の光国が来合わせて助けるというのが、明晩、とあったが、翌晩もその・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・三面六臂の夜叉に似て、中にはおはぐろの口を張ったのがある。手足を振って、真黒に喚いて行く。 消入りそうなを、背を抱いて引留めないばかりに、ひしと寄った。我が肩するる婦の髪に、櫛もささない前髪に、上手がさして飾ったように、松葉が一葉、青々・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・くしい女一人、はかなくなったか、煩ろうて死のうとするか、そのいずれか、とフト胸がせまって、涙ぐんだ目を、たちまち血の電光のごとく射たのは、林間の自動車に闖入した、五体個々にして、しかも畝り繋った赤色の夜叉である。渠等こそ、山を貫き、谷を穿っ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・……はたで見ます唯今の、美女でもって夜叉羅刹のような奥方様のお姿は、老耄の目には天人、女神をそのままに、尊く美しく拝まれました。はい、この疼痛のござりますうちだけは、骨も筋も柔かに、血も二十代に若返って、楽しく、嬉しく、日を送るでござりまし・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・……ビスマクの首……グラドストンの首……かつて恋しかった女どもの首々……おやじの首……憎い友人どもの首……鬼女や滝夜叉の首……こんな物が順ぐりに、あお向けに寝て覚めている室の周囲の鴨居のあたりをめぐって、吐く息さえも苦しくまた頼もしかった時・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・そこでも今年は、去年のように、金色夜叉やロクタン池の首なし事件の覗きからくりや、ろくろ首、人魚、海女の水中冒険などの見世物小屋が掛っているはずだ。 寿子はそう思って、北向き八幡宮の前まで来ると、境内の方へ外れようとしたが、庄之助はだまっ・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・荼枳尼天の形相、真言等をここに記するも益無きことであるし、かつまた自分が飯綱二十法を心得ているわけでもないから、飯綱修法に関することは書かぬが、やはり他の天部夜叉部等の修法の如くに、相伝を得て、次第により如法に修するものであろう。東京近くで・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・路傍に、金色夜叉の石碑が立っている。「僕、いちばん単純なことを言おうか。K、まじめな話だよ。いいかい? 僕を、――」「よして! わかっているわよ。」「ほんとう?」「私は、なんでも知っている。私は、自分がおめかけの子だってこと・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・ 私が出かけた温泉地は、むかし、尾崎紅葉の遊んだ土地で、ここの海岸が金色夜叉という傑作の背景になった。私は、百花楼というその土地でいちばん上等の旅館に泊ることにきめた。むかし、尾崎紅葉もここへ泊ったそうで、彼の金色夜叉の原稿が、立派な額・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・内にいると、そのおかみさんとめしたき女にいじめられるし、たまたま休みの日など外へ遊びに出ても、外にはまた、別種の手剛い意地悪の夜叉がいるのでございました。あれは、私が東京へ出て一年くらい経った、なんでもじめじめ雨の降り続いている梅雨の頃の事・・・ 太宰治 「男女同権」
出典:青空文庫