・・・総領の新太郎は放蕩者で、家の職は手伝わず、十五の歳から遊び廻ったが、二十一の時兵隊にとられて二年後に帰って来ると、すぐ家の金を持ち出して、浅草の十二階下の矢場の女で古い馴染みだったのと横浜へ逃げ、世帯を持った翌月にはもう実家へ無心に来た。父・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・ 旧足軽の一人が水を担いで二人の側を会釈して通った。 矢場は正木大尉や桜井先生などが発起で、天主台の下に小屋を造って、楓、欅などの緑に隠れた、極く静かな位置にあった。丁度そこで二人は大尉と体操の教師とに逢った。まだ他の顔触も一人二人・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・当時都下の温泉旅館と称するものは旅客の宿泊する処ではなくして、都人の来って酒宴を張り或は遊冶郎の窃に芸妓矢場女の如き者を拉して来る処で、市中繁華の街を離れて稍幽静なる地区には必温泉場なるものがあった。則深川仲町には某楼があり、駒込追分には草・・・ 永井荷風 「上野」
出典:青空文庫