・・・万葉集の巻の三には大津皇子が死を賜わって磐余の池にて自害されたとき、妃山辺の皇女が流涕悲泣して直ちに跡を追い、入水して殉死された有名な事蹟がのっている。また花山法皇は御年十八歳のとき最愛の女御弘徽殿の死にあわれ、青春失恋の深き傷みより翌年出・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・いつか父親がスワを抱いて炭窯の番をしながら語ってくれたが、それは、三郎と八郎というきこりの兄弟があって、弟の八郎が或る日、谷川でやまべというさかなを取って家へ持って来たが、兄の三郎がまだ山からかえらぬうちに、其のさかなをまず一匹焼いてたべた・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・あなたは歩きながら、山辺も野辺も春の霞、小川は囁き、桃の莟ゆるむ、という唱歌をうたって。 ゆるむじゃないわよ。桃の莟うるむ。潤むだったわ。 そうでしたか。やっぱり、あの頃の事を覚えていらっしゃるのですね。それから、私たちは浪岡の駅に・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・よく聞いてみると、当時高名であった強盗犯人山辺音槌とかいう男が江の島へ来ているという情報があったので警官がやって来て宿泊人を一々見て歩き留守中の客の荷物を調べたりしたというのである。強盗犯人の嫌疑候補者の仲間入りをしたのは前後にこの一度限り・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・この永機は明治初年の頃に向島の三囲社内の其角堂に住み、後芝円山辺に家を移して没した。没した日は明治三十七年一月十日で、行年八十二歳であった。寺は其角と同じく二本榎上行寺である。」文淵堂の言に従えば、わたくしの記事には誤がなかったらしい。猶考・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫