・・・ 修理は、止むを得ず、毎日陰気な顔をして、じっと居間にいすくまっていた。何をどうするのも苦しい。出来る事なら、このまま存在の意識もなくなしてしまいたいと思う事が、度々ある。が、それは、ささくれた神経の方で、許さない。彼は、蟻地獄に落ちた・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・汝の影を止むべき所にあらず、」と。悪魔呵々大笑していわく、「愚なり、巴。汝がわれを唾罵する心は、これ即驕慢にして、七つの罪の第一よ。悪魔と人間の異らぬは、汝の実証を見て知るべし。もし悪魔にして、汝ら沙門の思うが如く、極悪兇猛の鬼物ならんか、・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・冬至の第一日に至りて、はたと止む、あたかも絃を断つごとし。 周囲に柵を結いたれどそれも低く、錠はあれど鎖さず。注連引結いたる。青く艶かなる円き石の大なる下より溢るるを樋の口に受けて木の柄杓を添えあり。神業と思うにや、六部順礼など遠く来り・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・俺が覚えてからも、止むを得ん凶事で二度だけは開けんければならんじゃった。が、それとても凶事を追出いたばかりじゃ。外から入って来た不祥はなかった。――それがその時、汝の手で開いたのか。侍女 ええ、錠の鍵は、がっちりささっておりましたけれど・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ 誓 月凍てたり。大路の人の跫音冴えし、それも時過ぎぬ。坂下に犬の吠ゆるもやみたり。一しきり、一しきり、檐に、棟に、背戸の方に、颯と来て、さらさらさらさらと鳴る風の音。この凩! 病む人の身をいかんする。ミリヤアドは衣深く引被・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・「幽霊も大袈裟だがよ、悪く、蜻蛉に祟られると、瘧を病むというから可恐えです。縄をかけたら、また祟って出やしねえかな。」 と不精髯の布子が、ぶつぶついった。「そういう口で、何で包むもの持って来ねえ。糸塚さ、女様、素で括ったお祟りだ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 豪雨は今日一日を降りとおして更に今夜も降りとおすものか、あるいはこの日暮頃にでも歇むものか、もしくは今にも歇むものか、一切判らないが、その降り止む時刻によって恐水者の運命は決するのである。いずれにしても明日の事は判らない。判らぬ事には・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・しかしどうしても其の前を通らねばならない。止むを得ず黙って通ったが、生れて覚えのない苦痛を感じた。軽侮するつもりではないかも知れねど、深い不快の念は禁じ得なかった。 予は渋川に逢うや否や、直ぐに直江津に同行せよと勧め、渋川が呆れてるのを・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・聨隊長はこの進軍に反対であったんやけど、止むを得ん上官の意志であったんやさかい、まア、半分焼けを起して進んで来たんや。全滅は覚悟であった。目的はピー砲台じゃ、その他の命令は出さんから、この川を出るが最後、個々の行動を取って進めという命令が、・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・僕は受けたが、その跡はどうあしらっていいのだか、ちょっとまごついた。止むを得ず、「実は」と、僕の方から口を切って、もし両親に異議がないなら、してまた本人がその気になれるなら、吉弥を女優にしたらどうだということを勧め、役者なるものは――とても・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
出典:青空文庫