・・・ 彼は弁解がましいことを云うのがいやだった。分る時が来れば分るんだと思いながら、黙っていた。しかし、辛棒するのは、我慢がならなかった。憲兵が三等症にかゝって、病院へ内所で治療を受けに来ることは、珍らしくなかった。そんな時、彼等は、頭を下・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ どんなにいゝ着物をきせても、百姓が手織りの木綿を着たようにしか見えない。そんな男だ。体臭にまで豚小屋と土の匂いがしみこんで居る。「豚群」とか「二銭銅貨」などがその身体つきによく似合って居る。ハイカラ振ったり、たまに洋服をきて街を歩いた・・・ 黒島伝治 「自画像」
・・・ 若ものたちは、村から拵えてよこした木綿地の入営服か、あるいは、紋つきと羽織を着ている。そして、新しく這入ろうとする兵営の生活に対する不安と、あとに残してきた、工場や農村の同志、生活におびやかされる一家のことなどを、なつかしく想いかえす・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・よくよく勉強の男でも十分間も先生を煩わすと云うのは無い位でした。それで、「誰某は偉い奴だ、史記の列伝丈を百日間でスッカリ読み明らめた」というような噂が塾の中で立つと、「ナニ乃公なら五十日で隅から隅まで読んで見せる」なんぞという英物が出て来る・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・から持って出た脚絆を締め、団飯の風呂敷包みをおのが手作りの穿替えの草鞋と共に頸にかけて背負い、腰の周囲を軽くして、一ト筋の手拭は頬かぶり、一ト筋の手拭は左の手首に縛しつけ、内懐にはお浪にかつてもらった木綿財布に、いろいろの交り銭の一円少し余・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・住持といっても木綿の法衣に襷を掛けて芋畑麦畑で肥柄杓を振廻すような気の置けない奴、それとその弟子の二歳坊主がおるきりだから、日に二十銭か三十銭も出したら寺へ泊めてもくれるだろう。古びて歪んではいるが、座敷なんぞはさすがに悪くないから、そこへ・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・ 私が如何にして斯る重罪を犯したのである乎、其公判すら傍聴を禁止せられた今日に在っては、固より十分に之を言うの自由は有たぬ。百年の後ち、誰か或は私に代って言うかも知れぬ、孰れにしても死刑其者はなんでもない。 是れ放言でもなく、壮語で・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・先生も知っているように、私は誰よりもウンと勉強して偉くなりたいと思っていましたが、吉本さんや平賀さんまで、戦争のお金も出さないようなものはモウ友だちにはしてやらないと云うんです。――吉本さんや平賀さんまで遊んでくれなかったら、学校はじごくみ・・・ 小林多喜二 「級長の願い」
・・・が附けば男振りも一段あがりて村様村様と楽な座敷をいとしがられしが八幡鐘を現今のように合乗り膝枕を色よしとする通町辺の若旦那に真似のならぬ寛濶と極随俊雄へ打ち込んだは歳二ツ上の冬吉なりおよそここらの恋と言うは親密が過ぎてはいっそ調わぬが例なれ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・七「困ったって、私は人の家へ往ってお辞儀をするのは嫌いだもの、高貴の人の前で口をきくのが厭だ、気が詰って厭な事だ、お大名方の御前へ出ると盃を下すったり、我儘な変なことを云うから其れが厭で、私は宅に引込んでゝ何処へも往かない、それで悪けれ・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
出典:青空文庫