・・・仁右衛門の口の辺にはいかにも人間らしい皮肉な歪みが現われた。彼れは結局自分の智慧の足りなさを感じた。そしてままよと思っていた。 凡ての興味が全く去ったのを彼れは覚えた。彼れは少し疲れていた。始めて本統の事情を知った妻から嫉妬がましい執拗・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・溝石の上に腰を落して、打坐りそうに蹲みながら、銜えた煙管の吸口が、カチカチと歯に当って、歪みなりの帽子がふらふらとなる。…… 夜は更けたが、寒さに震えるのではない、骨まで、ぐなぐなに酔っているので、ともすると倒りそうになるのを、路傍の電・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・それからまた女の結髪が昔の娼婦などの結うた「立て兵庫」にどこか似ているのも面白い。 唄合戦の光景も珍しい。一人の若者が団扇太鼓のようなものを叩いて相手の競争者の男の悪口を唄にして唄いながら思い切り顔を歪めて愚弄の表情をする、そうして唄の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ 地殻の歪みが漸次蓄積して不安定の状態に達せる時、適当なる第二次原因例えば気圧の変化のごときものが働けば地震を誘発する事は疑いなきもののごとし。故に一方において地殻の歪みを測知し、また一方においては主要なる第二次原因を知悉するを得れば地・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・「裸女結髪」の女の躯体には古瓢のおもしろみがある。近ごろガラス絵を研究されるそうだがことしの絵にはどこかガラス絵の味が出ている。大きな裸体も美しい。 熊谷守一。 この人の小品はいつも見る人になぞをかけて困らせて喜んでいるような気がする。・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・後にはエーテルと称する仮想物質の弾性波と考えられ、マクスウェルに到ってはこれをエーテル中の電磁的歪みの波状伝播と考えられるに到った。その後アインスタイン一派は光の波状伝播を疑った。また現今の相対原理ではエーテルの存在を無意味にしてしまったよ・・・ 寺田寅彦 「物質とエネルギー」
・・・鉄で作った金平糖のようなえらの八方へ出た星を、いくらか歪みなりにできた長味のある輪から抜き取るのや、象牙でこしらえた小さい角棒の組合せから、糸で繋いだ、それよりも小さい砕片を潜らせるのや、いろんなのがあった。おひろはそんな物が好きであった。・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・されどもまず米の相場を一両に一斗と見込み、この割合にすれば、たとい塾中におるも外に旅宿するも、一ヶ月金六両にて、月俸、月金、結髪、入湯、筆紙の料、洗濯の賃までも払うて不自由なかるべし。ただし飲酒は一大悪事、士君子たる者の禁ずべきものなれば、・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・行けない学生は何のために学校にゆけないかを考えてみれば、職場の人のおかれている衣食住の困難、そこからおこる人間性の歪み、それと闘ってゆく人間らしい健気さでは、学生も職場の人もまったく同じ条件のうえにおかれている。そしてそこには男と女の勤労者・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・にひきずられて、天性の重厚のままにとりかえしのつかないほど歪み萎えさせられたところにある。 森鴎外にしろ、夏目漱石にしろ、荷風にしろ、当時の社会環境との対決において自分のうちにある日本的なものとヨーロッパ的なものとの対立にくるしんだ例は・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
出典:青空文庫