・・・ 回教徒が三十日もの間毎日十二時間の断食をして、そうして自分の用事などは放擲して礼拝三昧の陶酔的生活をする。こういう生活は少なくとも大多数の日本の都人士には到底了解のできない不思議な生活である。 ベナレスの聖地で難行苦行を生涯の唯一・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 私は幼時近所の老人からたびたびこれと同様な話を聞かされた。そしてもし記憶の誤りでなければ、このジャンの音響とともに「水面にさざ波が立つ」という事が上記の記載に付加されていた。 この話を導き出しそうな音の原因に関する自分のはじめの考・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・そのとき数え年の四歳であったはずだから、ほとんど何事も記憶らしい記憶は残っていないのであるが、しかし自分の幼時の体験のうちで不思議にも今日まで鮮明な印象として残っているごく少数の画像の断片のようなものを一枚一枚めくって行くと、その中に、多分・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・そのせいか、自分の虎杖の記憶には、幼時の本町市の光景が密接につながっている。そうして、肉桂酒、甘蔗、竹羊羹、そう云ったようなアットラクションと共に南国の白日に照らし出された本町市の人いきれを思い浮べることが出来る。そうしてさらにのぞきや大蛇・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・食うという事は知識欲とともに当時の最大の要事であったのである。 父に連れられてはじめて西洋料理というものを食ったのが、今の「天金」の向かい側あたりの洋食店であった。変な味のする奇妙な肉片を食わされたあとで、今のは牛の舌だと聞いて胸が悪く・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
幼時の記憶の闇の中に、ところどころぽうっと明るく照らし出されて、たとえば映画の一断片のように、そこだけはきわめてはっきりしていながら、その前後が全く消えてしまった、そういう部分がいくつか保存されて残っている。そういう夢幻の・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・歯磨楊枝をくわえた人、犬をひっぱっている人、写真機をあちらこちらに持ち廻って勝手に苦しんでいる人、それらの人の観察を享楽しているらしい人、そういう人達でこの美しい朝の広場はすっかり占領されていた。真中の芝生に鶴が一羽歩いているのを小さな黒犬・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・門の鉄扉の外側に子守が二、三人立って門内の露人の幼児と何か言葉のやりとりをしていると、玄関から逞しいロシア婦人が出て来て、逞しいむき出しの腕でその幼児を軽々と引っかかえて引込んで行った。ソビエトの幼児が函館の町っ児の感化に染まることを恐れる・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・まだ幼稚園へも行かれないような幼児が多いが、みんな一生懸命に傾聴している。勿論鼻汁を垂らしているのもある。とにかく震災地とは思われない長閑な光景であるが、またしかし震災地でなければ見られない臨時応急の「託児所」の光景であった。 この幼い・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・ ちょうど夕飯をすまして膳の前で楊枝と団扇とを使っていた鍛冶屋の主人は、袖無しの襦袢のままで出て来た。そして鴨居から二つ鋏を取りおろして積もった塵を口で吹き落としながら両ひじを動かしてぐあいをためして見せた。 柄の短いわりに刃の長く・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
出典:青空文庫