・・・談笑の間もなお然り。酔うて虎となれば愈然り。久保田君の主人公も、常にこの頑固さ加減を失う能わず。これ又チエホフの主人公と、面目を異にする所以なり。久保田君と君の主人公とは、撓めんと欲すれば撓むることを得れども、折ることは必しも容易ならざるも・・・ 芥川竜之介 「久保田万太郎氏」
・・・が、同時にまた相手の酔うことを心配しずにもいられなかった。「何しろあいつは意地っぱりだったからなあ。しかし死ななくっても善いじゃないか?――」 相手は椅子からずり落ちかかったなり、何度もこんな愚痴を繰り返していた。「おれはただ立・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・「元気のいい老人だったよ、どうも。酔うといつでも大肌ぬぎになって、すわったままひとり角力を取って見せたものだったが、どうした癖か、唇を締めておいて、ぷっぷっと唾を霧のように吹き出すのには閉口した」 そんなことをおおげさに言いだして父・・・ 有島武郎 「親子」
・・・それでも彼は能うかぎり小作人たちに対して心置きなく接していたいと願った。それは単にその場合のやり切れない気持ちから自分がのがれ出たかったからだ。小作人たちと自分とが、本当に人間らしい気持ちで互いに膝を交えることができようとは、夢にも彼は望み・・・ 有島武郎 「親子」
・・・彼れは酔うままに大きな声で戯談口をきいた。そういう時の彼れは大きな愚かな子供だった。居合せたものはつり込まれて彼れの周囲に集った。女まで引張られるままに彼れの膝に倚りかかって、彼れの頬ずりを無邪気に受けた。「汝がの頬に俺が髭こ生えたらお・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・花田 俺たちは力を協せて、九頭竜という悪ブローカーおよび堂脇という似而非美術保護者の金嚢から能うかぎりの罰金を支払わせることを誓う。一同 誓う。花田 そのためには日ごろの馬鹿正直をなげうって、巧みに権謀術数を用うることを誓・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・が、とりなりも右の通りで、ばあや、同様、と遠慮をするのを、鴾画伯に取っては、外戚の姉だから、座敷へ招じて盃をかわし、大分いけて、ほろりと酔うと、誘えば唄いもし、促せば、立って踊った。家元がどうの、流儀がどうの、合方の調子が、あのの、ものの、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・三の烏 その事よ、血の酒に酔う前に、腹へ底を入れておく相談にはなるまいかな。何分にも空腹だ。二の烏 御同然に夜食前よ。俺も一先に心付いてはいるが、その人間はまだ食頃にはならぬと思う。念のために、面を見ろ。三羽の烏、ばさばさと・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・「とろりと旨いと酔うがなす。」 にたにたと笑いながら、「麦こがしでは駄目だがなす。」「しかし……」「お前様、それにの、鷺はの、明神様のおつかわしめだよ、白鷺明神というだでね。」「ああ、そうか、あの向うの山のお堂だね。・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 予はふかくこの夢幻の感じに酔うて、河口湖畔の舟津へいでた。舟津の家なみや人のゆききや、馬のゆくのも子どもの遊ぶのも、また湖水の深沈としずかなありさまやが、ことごとく夢中の光景としか思えない。 家なみから北のすみがすこしく湖水へはり・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
出典:青空文庫